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沖縄に関わる私の思い出

朝の雨も早いうちにやんで、夕方には日が差してきましたね。

さて、……

今年は、沖縄が本土復帰して50年の節目ということから、テレビでも特番が組まれたり、朝ドラも沖縄出身のヒロインが登用されたりしている。

私の記憶で恐縮だけど、本土復帰については残念ながらない。ただ、その後クルマを左側通行に切り替える際のニュースの記憶は、意外に鮮明に残っている。

荷物を引く水牛が、左側通行に備えて訓練をしていた。でも、右左折するとつい右側に進もうとして困るとのお話だったと記憶している。動物に、交通ルールの変更を教え込むのは大変だろうなあと当時小学生の私も思った。

その後沖縄は名実ともに日本に復帰した。しかし、正直なところ沖縄は沖縄だよなあと思っている。独特な文化と言葉を持つ独立国であったことを思うと、簡単に日本の一部にしてしまって良いのかという思いを禁じ得ない。

沖縄には20代の頃に何回か旅行に行ったことがある。たまたま乗ったタクシーの運転手さんは、那覇の平地のかなりの部分を占める嘉手納基地に対して批判的なことを述べていた。

燃える前の首里城では、沖縄の民族衣装を着た女の子と写真を撮るのがお約束で、出口でその写真の購入を勧められる。旅の思い出を大事にする方なので、私は買ってしまう。それが、彼女達の生活にも繋がるのだろうし。

なお、自分のカメラで首里城をバックに自分の記念写真を撮ろうとした時に、その女の子がカメラに当たる日光を手元の冊子で遮ってくれたことにお礼をしたいという気持ちがあったことを申し添える。

南部戦跡から垣間見える沖縄の海は、あくまでもエメラルドグリーンで美しい。こんなにきれいな景色のところで、日米はなぜ死闘を繰り広げたのだろう。本当にそう思った。

夜に入ったスナックで働く女性から言われたことは、今でも心に刺さっている。
「沖縄、どう?」
「いや、海はきれいだし、パイナップルは美味しいし、ステーキは安いし……」
「他には?」
「……」
「それくらいしかないのよ、沖縄には」

彼女が沖縄に絶望していることが窺われた。

基地は嫌悪施設だけど、基地で働くことで生活の糧を得ている人がいる。米兵相手に商売をしている人がいる。物事は単純ではない。

最後に、沖縄を中心とした地図を見て欲しい。

那覇を中心にすると、東京とマニラと香港がほぼ等距離になる。かつての琉球は、この地の利を活かしていたことが分かる。

沖縄の未来は、沖縄の人達が選ぶべきだと改めて感じる。

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