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被災地での片付けは、思い出との告別とも重なる

今日の昼間はかなり温かくなりました。執務室内でも普段より気温が上がって、上着を脱いでも大丈夫でした。久しぶりのヌクさに、ちょっと嬉しかったです。

さて、……。

被災地にボランティアが派遣されるようになった件は、以前書いた。

壊れた家具、水を吸って重くなった畳の搬出等は、その家の人間のマンパワーだけでは足りない。まさに荷が重過ぎてどうにもならない。

ボランティアの方々の助力は、このようなご家族の片付けに際しても多大な貢献となるものと確信している。

ただ、このような粗大廃棄物については悩まずに対応できる一方で、ご家族の思い出の品々についてはどうだろうかと考えてしまう。子供が初月給で買ってくれたもの、家族の歩みを記録したアルバム等が出てくることもあるはず。

これらについては、ボランティアで訪問した側ではどうにも判断できない類のもの。家族側で決める必要があるが、家はもう住めないかもしれない、建て直すにしても持ち出しは不可避なことは理解できるが_持ってゆく先の当てがないというケースも少なくないと思う。

このような切羽詰まった状況の被災者と過程は全く異なるものの、私も実家売却に向けて家財を整理しなければならなかった。天災の被災者と比べれば深刻さが違うとのご批判はあると思う。でも、その種の判断を迫られた立場は同じであり、被災者の苦渋は理解できる。

基本は「廃棄やむなし」からスタートする。例えば父母の幼少期のアルバムは、本人にとっては貴重だけど私が見ても写っている人が誰だか分からない。そして恐らく写っている人はほぼ鬼籍に入っていると思われ、確認のしようもない。

また、思い出の品関係も、私にはその価値や由縁が分からない。ということで、これをそのまま娘に託すのか? と自問自答すると、やはり捨てるの一択になる。

被災者の方は、私よりもギリギリの生活を過ごしながらその判断をしなければならない。恐らくかなり辛いことと思う。その心中は深くお察し申し上げる。

地方の家は一般に構えが大きくものを置くスペースが広い。だから物持ちがよくなりがち。その分物を捨てることに慣れていないかも知れない。そうなると余計に捨てることに心理的なハードルが高くなるとは思う。

それでも、残すものの厳選を強くお勧めしたい。大抵のものが子供達への積み残しとなるからだ。どんなものもあの世へは持って行けない。余程のことがない限り、見切り千両だと思い切るべきだろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

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