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子育ては道徳リコンファームの機会と気付く

今日はきれいに晴れて気温も上がりました。周囲をよく見ると半袖シャツの人も増えています。でも、私がそれをマネして半袖シャツを着て出社すると、夕方から冷えてエライ目に遭うんですよね😅

さて、……。

私には娘がいる。もう遠い思い出になるが、その幼少期には私なりに子育てに関わる中で多くの絵本を読み聞かせた。絵本は基本的に正義と道徳に満ち溢れていて、教訓を示すものが多い。

私的には、自身の子供の頃以来約40年くらい経って改めてこれらの絵本に触れたことになる。子供への読み聞かせをする中で、自身の道徳意識も再確認されることに思い至った。リコンファームされるのである。

そして、これが意外に大事であることにも気付いた。

世にネット論客と言われる人達がいる。それらの中で、子育てをした人ってどれくらいいるだろうか。メジャーどころを何人か思い浮かべると、そもそも独身である、或いは結婚していても子供がいない方が多いように思う。

このような状況にいる方は、当然のことながら子供向けの分かりやすい道徳に改めて触れる機会を持つこともまずないと思われる。

極論を強く押し出し、それが世の注目を集めるのにつながるネット論客の背景を考えると、その環境から道徳を踏まえる確率が下がるのは必然ではないか。ひいては道徳によりパンチが効かなくなるデメリットを回避できることに繋がると思う。

逆に見れば、子育てによって再度道徳に触れることによる「道徳検定」を経ないことで、言葉にエッジが立つ。その切れ味は鋭くなる分、発言への忌避感や嫌悪感を感じる人も出てくる。その結果として論争になり、時に炎上となる。

これがネットに取り上げられて注目が集まり飯の種になる。このような見方も十分成り立ち得るように思うのだけど、うがちすぎだろうか。

そもそも子供がいたら、多くの人を敵に回す言動は避けざるを得ない。自分一人ならともかく、我が子に何らかの危害が及ぶリスクがあると思えば、自重するのは当然。だから多少のことなら口をつぐむし、場合によっては下げたくない頭も下げる。

言わねばならないと発言するにしても言葉選びは慎重になるし、常に落としどころを探り決定的な対立は避ける物言いになる。理解を得ようと最大限努力する一方、雑なフレーズではなく理詰めになるため意見が長大化する。

こうなると勢いと歯切れのよさは失われる。結果的に論争相手のリプライスピードについていけなくなる可能性が高い。ぶっちゃけ、戦えないのである。

ただ、世間の衆目を集めたところでその効果は一時のもの、長く続かない。それを認識してなおネットに打って出たいかは各人の価値観によるものではあるが、私はお勧めしない。

お読み頂き、ありがとうございました。

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