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介護家族は常に究極の選択をしていることを知ってほしい

今日の昼は夏の熱射を存分に浴びることとなりました。朝のNHKニュースでは、今年の猛暑による農作物への影響を取り上げていたことを思い出します。

米の粒が白濁して等級が下がる等の被害が出ていること、合わせて品種改良をする、北海道等に作物を移転して栽培する等の取り組みがすでになされていることが紹介されていました。

人間は困難に出会っても簡単にはへこたれず、それを乗り越える努力をする生き物であることを改めて感じます。

さて、……。

何回か母の介護について書いている。昨日もそれに関わり帰省してきた。

不老不死は誰でもあり得ない。いずれ最後の時を迎える。それは飛行機が目的地に近づくと減速して高度を下げ、車輪を翼から下ろして最終の着陸体制に入るのに似ていると私は思う。

それまで各々の世界で飛んでいた人達も、いずれは着陸する時が来る。綺麗に着陸できる場合もあれば、何らかのトラブルで機体が損傷することもある。急な突風で滑走路を外れる、やむなくハードランディングもあり得る。

親の介護も、最後は親の死に向かっている。では、いざその親の命の危機に遭遇した時、あなたはどういう立ち位置に立つかを決めているだろうか。

「救急車を呼ぼう!」。そこまでは良い。では、救急車が親を搬送した先の病院で、あなたは医師の問いに答えられるだろうか。

医療機関はお任せを受け入れない。家族としてどのような対応を、或いはどこまでの対応をしてもらいたいのかを尋ねてくる。

例えば、一緒に住んでいるならともかく、故郷を出て東京等に出てきているなら、あなたが急遽帰省するまで何が何でも命を繋いで欲しいかと問われたらどう答えるか。親の死に目に間に合うことを最重要視していればYESとなる。

その代わり、恐らくそれは老いた親にとってかなりの無理を強いることになるだろう。それでも構わないかとの問いに逡巡することは、大いにあり得る。

基本、生命維持に必要なエネルギーを摂取させること、身体的苦痛を軽くすることの2つが最後に残る基本的な方向性だと思っている。でも、これが二律背反になることは決して珍しくない。

例えば苦痛低減のために、体の一部の機能低下を受け入れざるを得ないこともある。モルヒネを使えば苦痛は低減するが、円滑な意思疎通が困難になることもあり得る。それをやむなしと受け入れるのか。

或いは、栄養補給の点滴も毎回太い針を刺すのは痛いので、ベースを体に設けてそこにチューブだけ差し込めばよいようにすることもある。でも、同じ場所にずっとベースを置き続けることはできず、他の場所に作ることになるが、老人の血管は脆くいずれベースを設置する場所がなくなる。

介護家族はそういうギリギリの選択をことあるごとに強いられている。この点、あなたの周りに介護をしている方がおられたら、このような事情を是非認識していただきたい。

肋骨が折れるリスクがあっても心臓マッサージを継続するか、AEDの使用を望むか等、今際の際に関わる選択も迫られる。それなりに重い決断をする時がやってくることをお伝えしておく。

お読み頂き、ありがとうございました。

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