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日帰りで郷里の母に面会する

今日になって、少し発熱しています。もしかしたら実家に立ち寄った際に、火の気が全くない中で、片付けをして体を冷やしてしまったからではないか? と思ったりしています。

さて、……

先週土曜日、郷里の老人ホームに入居している母を姉と共に訪れた。コロナ禍の影響で、面会時間は20分に制限されている。その20分の為に往復5時間以上を掛けねばならず、何だかなあという気にはなるが、致し方がない。

前々からお伝えしている通り、母は認知症が進んでいる。それでも、一目で私が家族であることは分かってくれる。それはありがたいと思う。でも、私の顔と名前が一致していない。従兄の名前で呼ばれてしまう。

私が生まれて以降50年間は認知症にもならず、ずっと私の成長を見守ってきたはずなのだけど、その後わずか数年の老人ホーム生活で、あっさり名前を忘れられてしまった。何とも言えない気持ちになる。

しかも、会うたびに「あなたは何年も顔を出さないねえ」と非難されてしまう。確かに、コロナ禍の頃は半年程度間が開いたことはある。しかし、何年もということはない。それまでは2ヶ月に1度以上は訪れていたのだけど……

これを前向きに「何年も顔を出さない」とは言いつつも、顔を覚えられているだけマシだと捉えるべきなのかも知れない。「あれ、どちら様でしたっけ?」と言われたらマジで辛くなるだろうし。

面会中の会話は、どうにもかみ合わない。こちらの質問に何とか答えようとするのだけど、その中身が質問とは合わないのである。それを何とか理解しようとするのには、かなりの労力が掛かる。でも、やはり分からない……

いつの話なのか、どこでの話なのか、だけでなく、どう考えても存在しない人の話を出されても、こちらも困惑するばかり。

本人は伝わっているつもりなだけに、何とも言えない雰囲気が漂う。20分がこんなに長いと感じる経験は、他にはない。

ただ、食べ物についての不満だけはしっかり分かった。

今、母は誤嚥防止のための食事制限が掛かっており、きざみ食が原則。本人はもっと歯応えのあるものを食べたい気持ちが強いようだ。でも、こればかりはどうにもならない。

誤嚥性肺炎は、老人の致死理由として結構比率が高い。老人ホームとしては、そのリスクを当然避ける。そのため、我々からのお菓子の持参も許されておらず、手土産を持って行くこともできない。

私達は戦前派の母から「食べ物に文句は言わない。食べられるだけで幸せだと思わないと」と言われてきた。でも、母にとってのきざみ食は例外だと分かった。

もう、今回の面会のことも忘れられているだろうな……と達観している。

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