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生きるが一番、登校は二番

今日は雲一つない晴天に恵まれました。バッチリ暑かったです。水不足もあり、雨が欲しいところですね。

さて、……。

今日は9月1日。昨今では必ずしもこの日に二学期が始まるわけではなく、既に8月下旬から始まっている学校もある。

今日だけに限らないとは思うけれど、学校関係者の関心事は子供たちがまた一学期のように登校してくれるかな、ということ。

そして、この中には万一の事態が起こらないでほしいという切なる願いも含まれている。ここで言う万一の事態とは、自殺である。

今日は関東大震災があった日でもある。多くの命が失われ人命の尊さを再認識する日であるのに、生徒の自殺を考えねばならないというのもいかがなものかと思う。しかし、実際に2学期の始まりに自殺は増える。

長い夏休みの間はいいのだけど、いよいよ学校が始まるという時に、学校に行きたくないという気持ちが強くなり、それが高じて自ら命を絶ってしまう子が少なからずいる。

我々は、どうしても学校へは行くものだという価値観に縛られている。ここでよく「小中学校は義務教育だから」と言われるが、これは少し雑。義務は国と親が負っているが、子供に義務はない。

国と親が負っているのは教育を受けさせる義務。国は各自治体を通じて学校を整備することでそれを達成している。親も、たとえば子を学校に通わせず家業の手伝いをさせるのは不可である。

ただし、子供には義務はないものの教育を受ける権利はある。

本来は、子供の教育を受ける権利を達成するために、子供が通う意欲を持てるような学校運営をすべきなのだけど、まだまだその状態には程遠い。

この状況下で、自殺してしまう子が出ないことを心から願っている。もし子供が本当に学校に行きたくないのであれば、何が何でも学校に行かせる必要はないと私は思っている。

何といっても第一に守るべきは子供の命だから。そこはもう少し見極めるべきところ。子ができる我慢にも限度はあるからだ。

「みんなが行っている」「そんなことでは社会に出てやっていけないよ」という言葉。もし希死念慮に囚われている子がいたとして、これらの言葉はどの程度効果を発揮するだろうか。

少なくとも私は役立たないと思う。それどころか理解してくれる者の不在に絶望の度を深め、最後のトリガーを引いてしまうのではないか。

今朝の通勤電車もトラブルに見舞われた。命を守る行動を第一にお願いしたい。

お読み頂き、ありがとうございました。

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