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卒業式の切なさって何だろう?
今日は、明らかに昨日よりも温かな一日でした。春の陽光を嬉しく感じました。
さて、……
既報の通り(単に今朝つぶやいただけw)、今日は久々に会社をお休みした。娘の卒業式に出席するためである。
もしかしたら、出席できる保護者は1人のみとされる可能性もあった。しかし、まん延防止等重点措置の解除もあってか、学校からの案内では2人まで出席可とされた。そのため、私も出られたのである。
ここにたどり着く直前に、コロナ禍で学級閉鎖になったこともある。だから卒業式の練習も満足にはできなかった。私は出席を決めたものの、不安は決して小さくなかった。
妻と二人で小学校に向かう。通学路の交通監視員の方に挨拶をすると
「おめでとうございます」と返してくれた。校門の守衛さんも同様の対応であったが、子どもの安全のために多くの人が携わってくれていることを実感した。
会場の体育館は、自分たちが着いた頃には6割の入り。結局7割程度の座席が埋まった状態だった。
式は、省略できるところはとことん省略するスタイルであった。「祝電は貼ってあるから後で確認して下さい」のひとことで済まされた。
それでも、卒業証書は全員が一人ずつ校長より授与された。この点、感染予防として一気に全員の名前を読み上げた後に、代表の一人だけが受け取る学校もあると聞いていたので、これはありがたいと思った。
ただ、誰も国歌や校歌を歌わない。音楽がスピーカーから流されるだけ。その理由は分かってはいるものの、やはりちょっと寂しい。
まして、卒業ソングは音楽すらなし。もしかしたら、今後はこのスタイルが新しい卒業式の標準として定着していくのかも知れない。こうなると、卒業式の思い出自体がコロナ禍の前後で変わるように感じられる。
娘の学校では、卒業生は式後一旦クラスに戻り、改めて卒業生が校舎から校門まで行進する。両サイドには保護者が立って拍手を送りながらわが子やその友人の成長に目を細める。
ここでふと考えたのは、卒業式の切なさってどこからくるのかということ。私見だけど、成人式でも結婚式でも人の成長を踏まえた儀式はやはり重みがあって、その重みは何からくるのかを考えると、その日に至るまでに込められた人の思いに共鳴してしまうからではないか、と考えている。
そして卒業式の場合は、その後の進路が人により異なる、いわゆる別れという要素が加わる。せっかく通じ合い築き上げた人の思いのつながりも、ここまでであると突きつけられるのが卒業式というセレモニーである。
それは切なくなるのも宜なるかな、と思う。
さて、行進後は自由解散となる。しかし、それで帰る人は少ない。その後も多くの人が滞留し、あちらこちらに人の輪ができていた。何だかんだと言いながら通い続けた学び舎。去りがたい思いもあるのだろう。
娘は人付き合いが苦手で、友達はあまり多くないと思っていた。でも娘に「写真、一緒に撮ろうよ」と声を掛けてくれた子が何人かいた。その瞬間に立ち会えたのはすごく幸せだったと思う。
親として報われたとの思いが、胸一杯に満たされたのだから。
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