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障害者の権利を考える際に頭に置いておくべきこと
今日は昨日ほどではなかったものの、やはり肌寒い一日でしたね。何とかお休みにたどり着けたことを寿ぎたいと思います。
さて、……。
ネットで話題になっている以下の件。かなりの論争になっている。
ファクトだけ書くと
車椅子ユーザーが映画を観に行った
ユーザーは車椅子で進入ができないプレミアシートでの鑑賞を希望
映画館従業員に移動を手伝ってもらいプレミアシートで鑑賞
鑑賞後に従業員が移動を手伝った際、ユーザーに不適切な発言をした
ユーザーがこの件をXでツイート
という流れ。最後のツイートについてはユーザーの主観が入るため内容は敢えて書かないが、リンクを付しておく。否定的な感情がこもったものであることだけはお伝えする。
障害者の権利を考える際に私たちが意識せねばならないこと。それは
障害のない者(健常者)が当たり前に享受しているものか
障害者が何もなしではその権利を行使しづらいものか
は必須。そして更に
障害者が望む配慮は健常者にとってもあって欲しいと思うものか
まで視野に入れて考える必要がある。
障害者差別解消法が令和3年5月に改正され、令和6年4月1日から施行される。このことで、事業者による障害のある人への合理的配慮の提供が義務化される(これまでは努力義務)が、ここで直ちに法律論争に進むべきものではないと考える。
というのは、「合理的配慮」なんて法律の文言だけで一義的に定められるものではないからだ。
私の個人的なスタンスは、配慮できることは当然実施する。逆に無限に配慮する義務もない。この間のどこかに合理的配慮の幅があると思うが、それは基本的に双方でよく話し合って決めていくべきだというもの。
もちろん、事業者と障害者の脳内に思い描かれているものには、かなり差異があると思う。それでも、お互いに譲れるところまで歩み寄ることが大切である。
日本の場合、民主主義の根本である話し合いが根付いていない。忖度するか、大きいところを見せるかといった、双方が納得を得る話し合いのプロセスを踏むのとは別の次元で話が決まってしまうことが少なくない。
あなたも、トコトン話し合った経験はかなり少ないのではなかろうか。
この話し合いに不慣れな状況が背景にあって、お互いの意思疎通が妨げられているように思っている。これは、改めていかないと日本の住みやすさに繋がらない。
ここで、実は
障害者が望む配慮は健常者にとってもあって欲しいと思うものか
は判断の一つの基準になると思っている。誰だってより良い状況で過ごしたいのは間違いない。これで個人のワガママか否かを判断するようにしてはどうだろうか。
そのうえで、ワガママではないとなれば、それをどのように実現するのかのプロセス検討に移る。どこまでが事業者側で、それで足りない部分は障害者側で負担すべきかを決めていく。そういう前向きな取り組みが今求められているように感じている。
「やってくれて当然」「何でも要求するな」の間の落とし所は、双方の話し合いでしか見つからないはず。しかるに、そういう方向で考える人が意外に少ないのが残念である。
お読み頂き、ありがとうございました。
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