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「昔は良かった」に含まれるけど意識されないもの

「昔は良かった」は、中高年以上が胸に抱く、或いは実際に口にするありがちなフレーズである。逆に、周囲の中高年で「今の方が良い!」と言う人ってどれくらいいるだろうか?

「古き良き時代」は、英語でも「the good old days」という言葉があるくらいだから、これは万国共通の感情なのだろう。

現実には、時代は決して後戻りしない。世の中の技術は進み、大抵のものが新しく、便利に、省力的になるように進化していく。それなのに「昔は良かった」と思うのだ。考えてみれば不思議である。

ここで言う昔の中に「飢饉で飢えに苦しむ」「借金の形に娘を身売りに出す」「病気になって手の施しようがない」「楽しむべき余暇が少ない」等のマイナスイメージが大きなものは、絶対と言って良いほど含まれていない。

ちょっと歴史を振り返っただけでも、こういうマイナス面は少なからずあったはずである。それに触れずに昔を良いものとするのは、アンフェアだとも思う。

私も「昔が良かった」人達にアンケートを採った訳ではない。でも、昔は自分も若かったため、世の中の技術の進歩にも軽々とついていけた。また技術の進歩によりモノの価格が下がり、欲しいものが簡単に手に入るようになった。

かつ技術の成果により家事労働が楽になる製品が次々に生まれ、家族や他者とのコミュニケーションを取る時間を確保できた。更に、その時間を充足する多種類のレジャーが生まれそれを楽しめた……等のことが、複合的に積み上がり、「昔は良かった」と感じさせているのではないかと思う。

サラッと書いたが、何と言っても昔は若かったという事実がポイントだと思っている。若い故に好奇心も旺盛、新しいものにも即応できる一方で社会的な責任はそれほど大きくない。贅沢を望まなければ無敵である。それは楽しい日々だったと思う。

無邪気に若さを謳歌できた頃を頂点に、人間は年を取る毎に責任を負い、身体の不調を感じ、新しいものについていけなくなっていく。この不可逆の長期低落傾向の中から見れば、「昔は良かった」のは自明のことである。

それを嘆いても流れを元には戻せない。それを受け入れられるようになって、ただ今この時を楽しめるように心構えができたなら、それが老いの受容なのだろう。

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