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看取りを経験する(その4)

今日のお昼はレトルトのビーフシチューを食べました。率直に言うとイマイチです。デミグラスソースは仏教のように発祥地で廃れて日本に残った文化なので、大切にしたいですね。

さて、……。

今回も以下の記事の続きである。

私が病院の最寄りのバス停に着いて最初にやったことは何か。それはコンビニでおにぎりと飲み物の買い込み出会った。

緊急時でも、いや緊急時だからこそ補給は必要だと考えたからだ。これを軽視してはならない。日本軍は補給を軽視して敗れた一面があるのだし。

本稿を執筆している今であれば私はこの後の展開を知っている。でも、この時点ではどうなるか分からなかった。むしろ今日一日は掛かるかも、と考えていた。

病院でエレベーターに乗り再びナースステーションに行く。相変わらず皆が忙しそうだった。近寄る私に一瞥もしない。それでも、緊急で来いと言われたからには怯んでいられない。
「先ほどお電話頂いた辻ですが」と大きめに声を掛けた。

あまりフレンドリーではない複数の目線が注がれてたじろいだが、ちょうどそこに戻ってきた看護師に上席らしい看護師が「対応お願い」と告げた。その人が近づいてきたので改めて名前を伝えると
「お待ちしていました。こちらです」と案内された。

そこは昨日の大部屋ではなく、個室だった。
「こちらに移っていただきました」とだけ、看護師が言う。理由は言わなかった。
でも、言われなくても分かった。大部屋で他の患者への影響を避けたということだろう。

「お母様の脈拍数が低下しています」
言われてモニターを見ると、表示された数字は25〜55の間を不規則に行ったり来たりしている。

私はチョコザップに通い、ランニングマシーンを使用することがある。そこで走り出す前は70前半であったことを思い出した。それと比較すると明らかに少ない。特に25となると、2秒に1回も心臓が動いていないことになる。

サチュレーションは94。でも、もう酸素を体に取り込めなくなってきているのだろう。CO2ナルコーシスだと理解した。二酸化炭素を体外に排出できず、酸素があっても取り込めない状態である。

「お母様とのお時間を、大切にしてください。他に呼ばれる方がいれば、お声かけをお願いします。トイレは、病室内のものをお使い頂いて結構です」
そう言って、看護師は出て行った。

昨日よりも状態が厳しいのは明らかだった。しばらくモニターと母の顔を交互に見る時間が続いた。ただ、低いなりに安定していると判断し、一旦病室を出た。1階の会計に書類を提出する必要があったからだ。

書類は出すだけだったので、それほどの時間はかからなかった。病室に戻る。幸い特に変化はなかった。姉に母の状態を電話し、母方の叔父にも同内容を電話で伝えた。姉はこれから向かうと言う。

モニターの数値が下振れすると警告音が鳴る。
ピオーン、ピオーン、ピオーン……

しばらくは一進一退であった。意識のない母に
「これまで長い間ありがとう」
とだけ声を掛けた。

空は雲が減ってますます青空が広がっていた。

(続きます)

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