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あえて一人ぼっちを礼賛してみる

街はクリスマス・ディスプレイが一掃されて、年末モードに突入しましたね。クリスマスはロマンティックですが、年末モードはせかせかと慌ただしく、負けないように気合いを入れるので疲れます。

さて、……

生まれ出る時に人は1人、死にゆく時も1人。これが普通だ。

どんなに仲が良くても、一緒に死ぬことはまずない。それをやれば心中である。

そうであれば、人は1人でいる方が自然だとは言えまいか?

増して、1人でいることをボッチと蔑む必要などさらさらないと思う。人といたい人はいればよく、いたくなければ1人でいればよい。それだけのこと。特に優劣はないはず。

周りの目を意識して、1人を蔑む悪習に恐れをなして、本当はいたくもない人と一緒にいる。それで楽しいだろうか? 周りに合わせて自分の真意を奥底に沈ませて、嬉しいだろうか?

人と一緒にいたいのも欲。もしかしたら、人の為に一緒にいるという人もいるだろう。寄り添いが必要だとの意見もあるだろう。でも、そこに一緒にいたい欲が混ざっていないだろうか?

欲を否定するつもりはない。人間、欲があって当たり前。だから、欲を満たすのに、人の為と他人への配慮を前面に立てなくても良いのではないか? とは思う。

むしろ、ただ自分がそうしたいという欲を素直にためらいなく出せる世の中になって欲しい。それを、まずは受け止めて否定しない社会ができ上がって欲しい。

1人でいる人は、1人でいたいという気持ちを素直に出しているだけかも知れない。そうであれば、まずはその気持ちを受け止めてもよいはず。

事実をあるがままに受け止めるというのは、意外と人間が不得意なことなのかも知れない。特に人間関係が絡むとそうなりがち。

沸き起こる感情は時に理屈を上回る。人が人といたいと思う根源は、自己保存本能であり、承認欲求だと思っている。

大自然で特段武器を持たない人間が生き残るために集団に属し、自己保存を目指す。

集団の中で認められることで集団に属し、更にその中で優位に立って多くの報酬を得ることを目指す。

1人でいられるのは、文明が進んで人と関わらなくてもある程度は生きられるようになったという実態がある。

それを前提に、人といるデメリット、つまり集団の中で劣位に立たされたり、自分の気持ちを抑え込んだりをせずに済むようになったのである。

そういう環境に適応したい人を蔑むのは、もしかしたら古いタイプの悪あがきではないか? というのは極論だろうか。

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