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自分の一番古い記憶を披瀝する

今朝は幸い、雨の隙間を縫って自転車で駅まで向かうことができました。帰宅時にはどうなることやらと不安です。

さて、……

実は、自分は1歳になるかならないかくらいの記憶がある。母が、私のオシメを換えるために濡れたオシメを外した。でも、そのタイミングは私的にちょうど尿意が高まっていたため、放尿したというもの。

放物線を描く尿を見て、母がすごくガッカリした表情を浮かべていたことを今でも覚えている。何と言っても、新しいオシメを私の尻の下に敷いたばかりだったので。

自分も子のオシメを換えたことはある。そのタイミングでやられたら二度手間になるため、ガッカリするのはよく分かる。

今にして思うと、その当時自分には既に思考能力というのがあって、ちょっとしたイタズラ心から敢えて放尿したように記憶している。

恐らく、まだ赤ちゃんに毛が生えた程度の存在で言葉も理解できていない段階であった。従って、言語による思考はできていない。

それでも「オシッコしよう」という感覚に従って行動し、いつも世話してくれる存在(親)がどんな反応を示すかを見てみたいという感情はあった。これも、言葉でそう思っていたわけではない。

ただ、母のガッカリした表情を見て、こちらもどうやら自分の行動が人を喜ばせるものではなかったことを学んだ。そのため、二度とそのような振る舞いに及ぶことはなかった。

言い換えると、親がオムツを外した時に放尿したのは、それが最初で最後の経験であったということ。だから何? と問われると辛いのだけど。

このような一歳になるかならないかの記憶を持つ人は、そう多くはないと思っている。もっとも、もし持っていたとしても、赤ちゃん時代の記憶であるため、大して世の中に影響を与えるような記憶ではない場合が大多数だろう。

なお、残念ながらもっと前の記憶はない。更に言えば、巷間でよく話題になるような前世の記憶もない。

それほど昔の記憶でなくても、例えば入社時の状況についての記憶も、私は普通の人よりは多く残っているらしい。「辻は、よくそんなことまで覚えているね」と感心されることがある。

もっとも当人から見れば、記憶にあることが皆自分にとって快感を与えてくれる物ばかりではない。結構な比率でイヤな記憶も混ざっており、昔のことを覚えているのが良いことなのかについては、疑問符が付く。

お読み頂き、ありがとうございました。

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