秋の鬱③
正直なところ、この喪失感を理解し、つらさに共感してくれる人がいれば、それは鬱への抑止力になるだろう。しかし、老人ホームという環境では、そういう人はなかなか現れにくい。
なぜなら、老人ホームは閉ざされた環境だから。本人が、随意に施設外に出ることはできない。周囲にいる人は、基本的に同じ入居者かスタッフのみ。この限られたメンバーの中で、理解者と出会える確率はどれくらいだろうか?
そもそも、高齢者同士だと以前書いたように積極的に交わることが少ない。そして、スタッフも日常のルーチン業務に追われている。入居者一人一人からじっくりと話を聞く時間も取りにくいし、何よりまだ若く能力のある状態で、高齢者の喪失感を理解・共感できるかを考えると、率直に難しいと思う。
つまり、胸の内を吐露できる相手は、極めて見つかりにくいと考えて良かろう。この環境を変えるのはまず無理だと割り切るしかない。
だからこそ、今の環境がいつか変化すると期待するのは諦め、所与のものとして受容すべき、ということになる。そうなると、環境に合わせて自分自身の側が変わる方が、まだ分があることになる……難しいけれど。
ぶっちゃけ、私も自分の老いは感じていて、それを受容することに努めている。「できる」自分は過去のものと割り切り、できない自分に「降りる」ことを忌避しない。こういう姿勢への切り替えは、意外と大事なのではなかろうか。
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