見出し画像

空き家となった実家で自分の過去を整理する

今朝は少し温かさを感じました。三寒四温を経て春になるのでしょう。

さて、……

既報の通り、私の実家は空き家になっている。老人ホームにお世話になっている母を見舞うため、基本的に2ヶ月に1回程度帰省しそのついでに立ち寄るのだが、最初に入る時にはいつも若干緊張する。

もしかしたら、訳の分からない生き物が繁殖しているかも知れない、と不安を感じるからだ。玄関を開けた瞬間に虫がたくさん歩いていたら嫌だなあ、と素直に思うし。

実は、既に死んでいたのだけど、母が家を出た直後には2階の部屋でコウモリが絶命していたのに遭遇したことがあった。恐らく、夕方ヒラヒラ空を舞っていたコウモリが、たまたま母がドアを開けた瞬間に入り込んだのだろう。

腰を痛めていた母は2階に上がることもなく、コウモリは出口もない状態で、誰にも気付かれずに絶命したものと思われる。部屋に置いたままにはもちろんできず、丁重に庭に埋めて冥福をお祈りした。

そういう緊張感を味わう実家では、窓を開けて換気するもののかび臭さはなかなか抜けない。2ヶ月に1度では焼け石に水である。

そういう中で、自分が就職で上京する際に置いて出たさまざまな書類やモノの処分をしている。卒業文集なんかは当然手元に残しておくものと考えるが、中高生時代の班ノート等も出てきて対応に迷う。

果ては、修学旅行のバスの中での使用を目的とした歌集まで登場する。これらも青春の思い出の一つではあるのだけど、軽く40年近く経っているため懐かしいとも思わなくなっている自分がいる。

懐かしさを感じるのにも旬があることが最近わかった。旬を過ぎたものは、その他のものと感じ方に差異がなくなって感情が動かない。

作業において、さすがに要らないと思うものはさっさと廃棄することにしている。そして、それ以外はもうちょっと取っておこうかと思うものの、いずれ家を売却する時のことを考えると、判断基準は廃棄側に傾いている。

取っておくものも、恐らく会社を退職して第二の人生の方向性が定まった時に最終的に判断する、つまりは処分するのだろうと漠然と思っている。

たまに帰った際のこの作業も、もう4年程度続けている。ただ、もう開くこともあるまいと思っている大学時代の専門科目の教科書は、まだ捨てがたく手元に残している。

これを未練と言うのだろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。