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成功話の再現性と誰得の考察は必須

今日は暖かかったですね。そういう日がこれから段々増えていくのでしょう。春近し、です。

さて、……

⓪宣伝の惹句

最近のネット上では、副業こそこれから取り組むべき優先課題であるとの言説があふれている。

そして「〇〇でウン万円を稼いでいる」「〇〇で本業を上回る収入を得た」という話をセットに、「ぜひあなたもやってみませんか」とお勧めしてくる。

この手の話については、冷静に見定める点が2つあると思っている。

①再現性があるか、②得をする人は誰か

である。

①再現性があるか

例えば、高校野球の勝利チームインタビューを聞けば分かるのだけど、監督は「あそこで〇〇君に賭けて強硬策に出たことが当たった」的な発言をよく聞く。

これ、同様な場面で同様に強硬策に出たチームが皆当たるだろうか。そもそも打率は3割行けば大したものであることを考えると、低い確率に乗っただけである。

見方を変えれば、同じようなことをした7割は失敗するという状況である。従って、監督の発言は「出たとこ勝負であった」と大差ない。本来は、この低い確率を高めるために何をしたのか? が問題ではなかろうか。

そのことを語れず再現性がないのであれば、実は聞くに値する内容は何も語っていないのと同じであると判断せざるを得ない。

②得をする人は誰か

この手の主張をする人は、「自分の主張に従えばあなたも儲かる」と語りかけてくる。何もしなければ儲からないのは確かで、その主張自体はもしかしたら正しいのかも知れない。そこは争わないものとする。

但し、この手の主張をする人が一切利得を得ていないのだろうか。ボランティア精神で一円も手にしていないのかというと、ほとんどはそうではない。ハウツー本を売る等で、その売り上げの一部は主張者に回る。

それを責めるつもりはない。但し、お金を得ているのであればプロである。それに見合うフォローまではすべきだと考えるのだけど、ここがおざなりにされている感を禁じ得ない。私は、ここが粗悪品との境目になると考える。

③我々の反省

情報を適価で販売しそれなりのサポートをするのは真っ当な行為である。この点、日本では無形のものについてキチンと対価を支払うべきとの考え方が浸透していない。この点は、我々も反省しなければなるまい。

無料のものに頼ることを否定しないが、「だから何でも無料にすべき」はおかしい。それなりの対価性を意識すべきだと思う。逆に、高いから価値が高いわけでもない。この見極めは場数を踏まなければ難しい。

何度か痛い目に遭いながら、見えてくるものがある。それが自分のリテラシーとして一生使える宝となり得ることを理解すべきだろう。

お読み頂き、ありがとうございました。

読んで頂いただけでも十分嬉しいです。サポートまで頂けたなら、それを資料入手等に充て、更に精進致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。