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ラグビーという競技に感じる文化的疑問

今朝はよく晴れています。天気予報ではまた暑い日に戻ると言っていて、台風一過という言葉を思い出すとともに、かなり残念に思っています。

さて、……。

ラグビーW杯パリ大会が始まった。日本は今晩チリと対戦することとなる。健闘を祈る。

ラグビーの発祥については、まだ10代の頃に聞いたことがある。イギリスのラグビー校で行われたフットボールの試合で、ある少年がボールを持ったまま相手のゴールを目指して走り出したことだとされている。

そのことについても諸説あるようだけど、ここでは置く。

私が疑問に思うのは、この競技の過多な接触性。

基本的に欧米では「個」が大事にされる。そのため、親しい者・親しみを表したい者へのハグはあるが、そうでない者との身体接触は避ける傾向が強い。

自分が旅したニューヨークの地下鉄で驚いたのは、日本のように押し合いへし合いするくらいに乗らないこと。無理に乗車しないのである。

だから、混んだ電車が来たら乗り込むことができずにホームに取り残される人は出る。でも、それをやむなしだとして皆が納得している。

日本のように前の人を押して乗ろうとする人がいると、明らかに「何だこいつ」みたいに嫌悪の表情で見られ、舌打ちをされる。野蛮な奴だと見下すかのようである。

このようなことを考えると、スクラムを組んで押し合い、タックルで相手に飛びついて止める、服を掴んで離さない等の行為をルールとして定めたラグビーという競技は、彼らの文化ではかなり異質のものではないか、と思っている。

日本の場合は、伝統的に相撲が行われていたし、祭りでも押し合いへし合いするものがいくらでもある。この点で言うと、ラグビーは文化的には日本に近い気もする。

ついついそのような本筋ではないことを気にしてしまう。そのようなことはどうでも良いとお叱りを受けるかもしれないので、このあたりで止めておく。

お読み頂き、ありがとうございました。

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