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社会的弱者の排除で、自分も社会的弱者ゾーンに近づくことを理解できているだろうか?

久々に晴れたのもつかの間、夕方から再び雨となりました。なかなか秋晴れは続かないものですね。

さて、……

円安やロシア・ウクライナ間の戦闘による流通不全等の要因により、さまざまなモノの価格が上昇している。給料がそれに伴って増えていればよいのだけど、残念ながらそうなっていない。

円安になれば為替レートに従って輸入品の価格は上がる。またモノが入って来なければ、市場原理に従い価格は上がる。いずれも自然な経済の動きである。

しかし、これに対する給料値上げの要因がない。会社の利益が減れば給料を上げる理由もなく、上げる原資もない状態となるのは当然である。

同じような状況が社会の各所で起こっているのだろう。生活が苦しいという声が大きくなっているが、そうなるのはすごく分かりやすい。

こういう「追い詰められ感」、真綿で首を絞めるかのようなジワジワとした閉塞感が漂うと、社会に生きる人々の気持ちも暗くなって行く。そして、社会的な弱者に向けて攻撃的な発言を行う人が増えてゆく。

障害者や生活困窮者等に対する度を超えた発言が、昨今増えているように感じる。その背景として、彼らに対する各種の助成制度や生活保護等に対する不満があるのは間違いない。

でも、それは多分に感情的なものである。そういう不満をぶつけたところで障害が治るのか、働けるようになるのかを考えるべきである。彼らの弱点が消えてなくなることはない。

例え社会の片隅であっても、ひっそりと人間らしい生活を営んでいく。そういう存在すら認めないというのは狭量に過ぎるしそうなる必要もないはずだが、これまでも時に凶行が起こってきたのは動かしがたい事実である。

2016年7月26日、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された。2020年3月25日には、岐阜市のホームレスが襲撃されて殺された。

いずれも看過できない行動であり、あまりにも人間性に欠ける振る舞いであることは、改めて私が言うまでもないだろう。

しかし、ネット上では犯人達を英雄扱いするような書き込みもあったりするのが実態。実際に行動に出る人はごく少数であっても、心の中にこのような闇が巣くっている人は決して珍しくはないのである。

ただ、そういう人は自分が絶対に攻撃される側には回らないと思いこんでいる。その根拠もなしに、である。しかし、残念ながらそうではない。

私は老いた親の能力が失われて行くのを見てきたし、自分自身も最盛期に比べればスペックは下がっている。何らかの拍子に体内の小さな血栓が脳内のどこかで詰まれば、障害者になり得る。

勤め先も、いつまでも安泰なのかはわからない人が多いはず。私の年齢では再就職はかなり厳しく、家のローンを抱えた私の場合、住むところを失う可能性もある。

誰でも、今の生活を維持できる保証などないのである。

社会的弱者というのは相対的な存在。今一番弱いと思っている人がいなくなれば、「次」ではなくても「次の次」は自分かも知れない。それくらいの想像力を持てない人は、本当に危うい。

人間性に加え、人としての想像力を持つことは、これから先の自身の立ち居振る舞いを考えるうえで必要条件である。軽く流してはならない大切なことだと思う。

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