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刑務所が居心地良いと思う前に福祉とのつながりが必要

朝、家庭菜園のプランターに水撒きが必要になってきました。美味しい野菜🥬ができることを期待して、蚊と戦います。

さて、……

まず、私自身は刑務所に入ったことがないことを申し上げる。そう言うと、今度は「想像でモノを言うな」という批判が出てくるかも知れない。しかし、今回はそれを踏まえても申し上げるべきことだと思っている。

刑務所。ひとことで言えば、犯罪者が更生を目指して生活する場所である。しかし、更生を目指す「能力」があるのかについては、今一度考える必要があると思う。

刑務所で服役している人について、あなたはどの程度理解しているだろうか。私も、講釈を垂れられる程理解はしていない。それでも、我々が思っているよりも知的障害を抱えている人が多いことは知っている。

少なくとも、一般社会における知的障害者の割合よりも、刑務所服役者の中での割合の方が高いというのは事実。放置できないことだと思う。

本来、障害者は福祉に繋がりそのケアを受けるのが本筋であるはず。しかしながら、その流れに乗ることなく学校を卒業した彼らは、そのままでは社会に出てもやっていけない確率が高い。最初は何とかなっても、無理が重なって破綻するタイミングがいずれ訪れる。

そうなると、彼らは収入も途絶して食うに困ることになる。ここから犯罪に手を染めるまでの期間は長くない。かくて、一般社会よりも高率で障害者が刑務所に入所することとなる。これが論理必然となってしまっている。

「悪いことをしたんだから、刑務所に入るのは当然」という評価もあると思う。しかし、私はこれについては強い違和感を持つ。

特に知的障害の度合いが高い場合、自分の行動を客観的に見て良し悪しを判断できない。まさに障害者の特性が出ているとの言い方もできるのだけど、そういう人について、何の支援もなく一般の人と同じ規範意識を求めることには無理があると考える。

刑務所入所者は、日々規則正しい生活を送ることになる。生活の乱れが犯罪を誘発するという思想に基づくため、当然そのような環境に置かれるのである。

実は、日々の変更が苦手な障害者というのは少なからずいる。彼らにとって、変化の少ない刑務所の環境は悪くない。日々決まったルーチン業務を過ごす方が性に合っているからだ。

かくて、出所後に再犯して捕まった際に「刑務所の方が楽だ」と真顔で言い切る者まで出てくる。これが虚勢でも負け惜しみでもないところに問題がある。

改めてあなたに確認したい。この状態は我々が望んだ結果だろうか。

私にはとてもそうは思えない。誰も幸せにならないからだ。

障害者対応は本来、司法ではなく福祉が対応すべきこと。だから我々は、そちらの対応を充実させる方向で考えなければならない。そうなっていないことがおかしいと感じる意識を持つことが肝要だろう。

お読み頂き、ありがとうございました。


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