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サラリーマンの幻想と自分が自分であること

今日は7月で最初の勤務日。私の勤務先ではこの日、社内でオフィシャルに人事異動が公示されます。6月中に行われた内示はあくまでも異動する本人への通知のためのもの。(本来は)内密に扱われるべきものです。

もっとも、内密である一方、これまで住んでいた住居が変わる人も当然います。地方の場合はそれほど賃貸物件が多くありません。だから、その手配は先行して行う必要があって異動先ではこっそり準備を始めます。このような曖昧な取扱い期間が終了したということです。

さて、……。

私の勤務先では、この日を境にシステム上は完全に所属が変わる。つまり、今まで部下だった人の勤務表が見られなくなり、その承認もできなくなってしまう。

そうなると、数日のこととはいえ後任者が来るまでの間、承認行為者が不在になる。それでは困るので、大抵代位者が決められている。今回は、私を代位者としている人が異動するため、その対応が全部私に降りかかることとなった。

元々自分が承認すべきものもあるため、かなりの承認を行うこととなった。まあ、これも自分が異動して出た際にはどなたかがやって頂いたことであると割り切って、粛々と対応するしかない。

サラリーマンにおいては、このように「相身互い」となる業務のタイミングが少なからずある。お互いに助け合っているとも言えよう。しかし、そういう「縁の下の力持ち」的な業務は上長からは見えにくい。ゆえに、評価されないケースが多い。

誰かが見てくれている、というのは本来そうあるべきなのだけど、サラリーマンにおいては幻想である。そして自分をアピールするのに長けた人間の方が、上長や周囲の評価を得やすいのが現実である。

私などは、そういうアピールは気恥ずかしくてできない性分である。損をするとは分かっていても、持って生まれたものなので仕方がない。

そういうアピールを無理にするのは、自分が自分でなくなってしまうようで、生理的に無理だと思っている。

それでも何とか定年近くまで勤務できてきたし、ピンにはならなかったけれどそこそこ昇任したから良いかな、と割り切っている。

厳しい会社ではUP OR OUT(上がるか社外に出るか)を迫られると聞く。そうであれば、私のような生き方をゆるく見守ってくれた会社には感謝すべきだと考えている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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