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コロナ禍も3年目を迎えた春の訪れに感じること

今冬の暖房費は、昨冬よりも確実に掛かったと思っています。気温が低めであったことに加えて、天然ガスの需給逼迫と円安が拍車を掛けたと認識しています。円安は、日本が段々貧乏になってきていることを実感します。

さて、……

今日の気温上昇は今ひとつだった。しかし、日差しは明らかに春のものに変わったと感じる。今まで隣家の屋根で遮られていた日光も家の南側に差し込むようになり、室内で日に当たれば、かなり温かい。

良い季節になったなあと思う。ただ、そのせいなのか3連休の最終日だからなのかは謎だけど、今日は道路がやたらと混んでいた。

単に近くの店に買い物に行っただけなのだけど、生活道路にも関わらず格段に混んでいて、車の進みが遅い遅い。

寒いうちは家に閉じこもっていた人達がついに外に出てきたのか、或いは新年度の準備に取り掛かったのかのいずれかだろう。

ところであなたは、春という言葉にどのようなイメージを持っているだろうか? 

私見であるが、桜、芽吹き、別れ、新年度、出会い、新しいこと、希望、活動、成長、といったキーワードが頭に浮かぶ。これらとともに、基本的に新しいことに前向きに取り組むイメージで語られることが多いと思っている。

少なくとも、春という言葉を聞いて陰鬱な気持ちになる人は少ない。同じことの繰り返しを想起する人もいないだろうし、過去に一度区切りを付けて、未来思考になることについては、多分ご同意頂けると思う。

ただこのイメージも、ビフォーコロナ世代の経験の積み重ねによる影響が大きいと思っている。つまり、「かつてはそうだった」に過ぎず、これからは違ってくるのではないかと考えてしまうのだ。

コロナ禍も3年目。入学式もリモートなら授業もリモート、サークル活動もままならず憧れの大学生活とは程遠い。しかも、当てにしていたバイト収入が得られずに、日々の生活にも困っているという大学生。

入社しても、リアルの出社は少ない。輪番出社が当たり前でまだ会ったことがない先輩も複数いる。緊急事態宣言時には在宅ばかりでちょっとしたことを聞ける先輩社員が隣におらず、ただ淡々と指示されたことをやるばかり、という新入社員。

これらは若干極端かも知れないけれど、かといって全くない訳でもない、令和の新人像だと思う。

桜の花はコロナ禍でも咲き、木々の新芽も同様に芽吹く。卒業で学校の友達と別れ、親元からも離れる人は少なくない。

ただ、入学・就職する新年度はすぐそこまで迫っているものの、それに関すして入ってくる情報は想像・期待とは異なっている。出会いも乏しく、新しいこともちょっと形が違っている。

自分だけじゃないと思う一方で希望以上に違和感が募り、学校や会社の活動についていけるのか、自身が成長できるのか、不安の方が大きい。

そのうち、春は明るいイメージでは語られなくなる日がやってくることを覚悟することになるかも知れない。残念だけど。

お読み頂き、ありがとうございました。

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