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自分探しは自分の感性を再活性化するところから

今日は、一日中冷たい風かなり強く吹いていました。3月も近いのに、今更冬っぽくならなくてもよいのに、と思います。

さて、……。

私が就職活動した頃は、バブル真っ盛りだった。景気はとてもよく、就職においても超が付く売り手市場。求人が多くあって労働者側が就職先を選べる状態であった。

そういう社会情勢が後押しして、大学を出ても就職せずに本当の自分探しの旅に出たり、アルバイトで生活を支えつつ自分のやりたいことに打ち込んだりする人たちが現れた。

そんな彼らの生き方に対し、基本的に大人たちの態度は冷ややかだった。「モラトリアムの引き延ばしだ」「大人になることを拒否している」等の否定的な評価が多かったと記憶している。

その後湾岸戦争を経てバブルが弾け、長い不況が日本を覆った。失われた30年とも言われる期間が過ぎた今、自分探しや自己実現に打ち込んだ彼らはどうしているのだろう。

このあたりについて調べたものってあまり見かけない。でも、例えばリーマンショック時に派遣期間満了で契約が更新されず、行き場を失った人の中に紛れ込んでいたのかも知れない。そうであれば、自分探しって結構罪深いものだったと受け止めている。

「人は何者でもない自分を受け入れた時に、本当の自分を見つけたことになる」。これは定年間際となった私自身が考えたこと。あくまでも個人の感想でしかないのだけど、それほど外してはいないのではなかろうか。

誰にでも自尊心はある。それが故に、その他大勢になりたい人は少ないと考える。これは人間として持って生まれたやむを得ない性(さが)だろう。

でも「何者かになりたい」自分は「何者にもなっていない」からそう考えるのだと言われたら、あなたはどう反論するだろうか。

俯瞰すれば、大抵の人は名もない市井の民として生きる。それを殊更つまらないことのように煽る無責任な自己啓発教材屋さんの声に惑わされるのは宜しくない。まともに相手にせず、聞き流してよいものだと思う。

ありのままの自分こそが本当の自分。それを受け入れた上で、自分と相談しながらできることに手をつけて取り組んでゆく。

そうすることで押さえられてきた本来の感性が再活性化し始める。派手ではなくてもスモールステップで目標を定め、着実に達成感を味わうようにすれば、自己肯定感も上がってゆく。そういう生き方は、決して悪くないはず。

私のように親が世を去り、死後何もあの世に持って行けないのを目の当たりにすると、その思いは一層強くなる。

もちろん「いや、自分はやはり今の自分を受け入れられない」という人もいるだろう。それは止められない。それでも、後戻りができるうちに見切りを付けるべきということだけは、申し上げたい。

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