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分からない⇒自己肯定感の低下⇒前向きな努力の減退⇒社会の沈滞、を考える

やっと今週のお勤めも終わりました。家路に着く足取りも軽くなります。

さて、……

高校の勉強は、かなり難しい。「高等」学校なのだから当然である……ということを心から理解している人がどれくらいいるだろうか。

遙か昔、七五三教育という言葉があった。小学校で7割、中学校で5割、高校では3割しか授業内容を理解できていないということを表現した言葉である。

実際にこの点についてキチンと精査したことがあるのかは謎である。学力テストで点数がそうなっているのかについて、私は寡聞にして知らない。

私は共通一次世代である。共通一次試験は1,000点満点で、平均点が600点台の前半だった記憶がある。国公立大学の入学を目指し、それなりの勉強をしてきた人間でもこの程度の理解力であったということは、キチンと踏まえなければならない事実。

そうすると、高校における生徒の理解度合いが3割程度というのは、やや厳しめの見方とはいえそう外れていないと考えて良いのではなかろうか。

高卒で就職する子は、まだまだたくさんいる。その大多数が最後の学生生活で学んだ内容を分からないという経験をして学業を終え、社会に出て行く。このことに何の危機感も感じないのであれば、そのことについて私は人としての感性を疑ってしまう。

勉強は苦手だ、分からないものだ、できないものだという経験をして、その子が自己肯定感を高く保てるだろうか。この点はしっかり考えるべきだと思う。

そのわからない内容は、学校を卒業したらまず使わない知識がほとんどである。そういうもののために多くの若者が自分はダメだという気持ちを抱き自己肯定感を持てなくなってしまうのは、国家的な大損だと言ってよい。

学習の最後の時間に、ここまでできたという達成感を抱いて終えることで、学習した内容は定着するし、自己肯定感も上がる。そういう教育に改めるべきではなかろうか。

抽象的な思考能力を持つ「賢い」子は、今まで通りの学習をしても良いと思う。しかし、そうでない子まで同じ型通りの学習をさせて誰得なのか、もし分かる人がいたら、コメント欄に記入して頂きたい。

今の日本の沈滞を生んでいる要因の1つに、自己肯定感の不足があると私は考えている。「どうせ自分は何をやってもダメ」と前向きな努力を否定する思考に陥りやすく、結果として社会を良くしようという意欲も生まれてこない。

アメリカでは日本よりも学習時間は短く、学力的には日本の方が上だとされている。しかし、アメリカ人の方が自分に自信を持ち自己肯定感を強く持っている。どちらが幸せかは、言うまでもなかろう。

分かる範囲で教えて、本人の前向きさを生かす教育。これは国がもっと真剣に取り組むべきテーマだと強く感じている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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