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健康を保つためにただ我慢は辛い。代替を探す創造的な取り組みをしたいもの

暑い暑い3日間が取り敢えず終わりました。なかなか寒気が下がってきたりはしないものですねえ。

さて、……

健康ブームは息の長い商売ネタだとつくづく感じる。確かに、健康を損なうと何をするのにもしんどいし寿命にも影響が出かねない。年賀状でも誕生日メッセージでも「健康第一」という言葉が高確率で記載されている。

しかしながら人間は、生きていく中で老化するのは必至である。老化により身体機能のあちこちが劣化し、その劣化のレベルによっては生活の質の低下にも繋がる。私自身、健康診断の複数の数値が標準値から外れている。

その結果、数値の改善や更なる悪化防止を目指すべく、摂生を求められることになる。その理屈は痛いほど身に染みて分かるのだけど、そのような生き方が楽しいか? という内なる心からのささやきが聞こえてくる。

これは、もしかしたら悪魔の誘惑なのかも知れない。さりとて「今のような生活をしていると、健康を損ないます」「薬が手放せなくなります」「長生きできませんよ」等々の言葉も、唯々諾々とは従いかねる。

というのは、その正しさは重々ごもっともなのだけど、摂生に努めるということは、美味しいものも我慢し、酒も飲まず、日々少しでも必ず運動することとほぼ同じ。この生き方は、決して楽ではない。

そして、これが根源的な自問の元となるのだけど、
長生き=善 ∴皆がそれに向けて努力すべき
という勝利の方程式っぽいものは本当なのだろうか、と考えてしまう。

摂生をしていても老化は進む。偉大な高僧であっても不老不死ではない。いずれ必ず老いて身体が利かなくなる時が来る。そして、長生きすればそれだけ、認知症リスクも転倒骨折寝たきり生活リスクも高くなる。

だから、少なくとも長生きが絶対的な善と言い切るのは難しい気がする。長生きを目的とする摂生は、我慢が先に立って継続も難しい。そのような生活が幸せなのかには、つい疑問が湧いてしまう。

誤解がないように申し上げるが、医療関係者の指摘を否定するつもりはない。とはいえ、ただただ我慢の後半生となるようでは失うものも大きくなる。この点について、あまり考えてこられなかったように思う。

むしろ、最高ではないものの何とか老化や病気の進行を遅らせる代替手段となり得るものを見つけることが、より大事ではないかと思っている。

低カロリーの甘味料、低糖質のパン等、それなりの代替品が生み出されている。微アルコール飲料も充実してきた。これらで日々の生活の質をあまり落とさないようにするのも大事なことであり、この創造的な取り組みにこそ充実感を見出すべきではなかろうか。

最後に、私がふと考えてしまうこと。
………今の世の中は、長生きしたいと感じさせてくれているだろうか。

お読み頂き、ありがとうございました。

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