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人間にしかできない創造的な仕事をやろうというのは分かるけど、できますか

今日は、恒例の妻との買い出し。思ったよりも店内が空いていて助かりました。また明日から仕事だと思うと気分が下がりますがw

さて、……

AI技術は長足の進歩を遂げている。例えば翻訳ソフト。はっきり言って一昔前のソフトは翻訳していないと言っても過言ではないレベルであった。実際、日本語としては意味不明な文章の羅列だったことも珍しくはなかった。

それでも、単語自体はそれなりに拾って訳してくれていたので、最初から自力で翻訳に取り掛かるよりはマシではあった。それを読んで何となくの雰囲気をつかんで、最後は自分で日本語に仕上げる、という経験を何度もした。

その当時から考えると、最近の翻訳ソフトは本当に素晴らしいと思う。よほどのことがない限りAIが訳したと気づかれにくい、文章として自然なレベルに到達している。

あと数年も経つと、よほどのピンの能力保持者じゃない限り、通訳は職業として成り立たなくなるのではないかと思っている。

このような話をすると、結構な割合で「AIでできることはAIに任せて、人間はそれ以外の人間でしかできない創造的な仕事をする時代になっていく」説を唱える人が出てくる。

最初は「そんなものかな」と思っていたのだけど、段々疑わしいと感じるようになっている。

というのは、この主張は人としての個性を最大限発揮するような仕事の仕方を意味するものと理解するのだけど、それは基本的には一品ものにしかならないように思える。

一品ものであれば、工場での生産、つまり大量生産には不向きとなってしまう。工場は大量生産だからこそ、抜き型や組み立てマニュアル等を作ったりするのである。

言い換えると、一品ものは基本的にハンドメイド。従って、製造コストはとても大きくなる。その費用を、購入者がまかなえるものだろうか。

これ、単に自分が作ったものを買ってもらうだけならわからなくもない。でも、そうではないはず。

自分がいかに「人間でしかできない創造的な仕事」をしたとしても、自分も他者の一品ものを買う状況にならなければ、取引が成立しにくくなる。買ってもらうはずの人の生活も回らなければならないのである。

ごく少数の工芸家の作品を、何年も順番待ちして買うことは今の時代でもある。では、これが相互になされる社会ができ上がっていくことってあるのだろうか。申し訳ないけど、極めて疑わしい。

誰か未来を見通せる人に、AI時代のマクロ経済学を解説してもらえないかと真剣に考えている。

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