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昔話「ものぐさ太郎」からうかがえる古き良き時代
日々忙しく過ごしています。コロナ禍はピークアウトしたかも知れませんが、下りは緩やかそうですね。
さて、……
あなたは、ものぐさ太郎という昔話をご存知だろうか? 多分、一度は聞いたことがあると思う。
信濃国に掘っ立て小屋を建てて住んでいたものぐさな男、太郎。
周囲は、それでもなんやかやと面倒をみていた。
ひょんなことから都に上り、それからは仕事もするようになった。
その後、他家に務める女房を見初めて得意の歌で結婚にこぎ着けた。
垢とフケだらけだった身なりを整えさせるとえらく立派な美丈夫であり、調べたら帝の血を引くことが判明。
太郎は官位を得て信濃に戻り、幸せに暮らした。
アラ筋はざっくりこんな感じだったと思う。
貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)の一つの形とも言える。日本の昔話では、実は尊い血筋の人がある理由から若いうちに庶民生活に身を置き、様々な経験を積んで機会を得て血筋が明らかになる、というパターンが多い。
水戸黄門や遠山の金さん等の時代劇も、そういう「実は……」の部分がクライマックスであり、貴種流離譚の変形ではないかと思っている。
私がものぐさ太郎という昔話で感心するのは、ロクに働かない太郎を、周囲が面倒をみていた点。社会福祉の概念や制度など整っていない頃から、それでも面倒をみられていたというのは、率直に驚きである。
太郎は憎めないキャラであったらしいが、それでも決して生活が楽ではなかった当時においても、周囲はそういう優しい対応をしていた。それを昔話として聞かされていた人達も違和感を持たなかったことは、注目されても良いと思う。
煎じ詰めれば、今の日本社会はこの昔話の時代よりも後退している印象を受ける。生活保護に対する社会の反応を見れば、それは明らかである。
当時とて「しょうがないねえ」とブツブツくらいは言っただろうけれど、それでも見捨てたりはしなかった。これは、時代が下って江戸の世になっても変わらない。下町長屋で登場する与太郎を、やはり周囲は面倒をみている。
昔よりはるかに豊かな生活を送るようになった私達が、その精神性において「少しでも損をするのはイヤだ」「何もしない人間が得をするのはおかしい」と言うようになっている。率直にうら寂しい気になる。
長い低成長の間に人としての心のゆとりを失ってしまったのであれば、大いに残念。多少の損得など気にしない人間性の涵養が必要だと考えている。
お読み頂き、ありがとうございました。
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