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少しずつ、捨てる側に立ち位置が変わる

母の介護に関わるようになってから、「自分もどう老いていくのだろう?」と考える機会が増えた。母に起こったことは、そのまま自分にも起こりうることでもある。

とりわけ、今は空き家となった実家に残されたものの整理に関わると、不要なものがたくさん出てくる。モノのない時代に育った父母は、何でも大事に取っておく習性が身に付いている。

ものを大事にするのは悪いことではない。最近は聞かなくなったが「モッタイナイ」は、日本が誇るべき美点である。

ただ、それが吟味した結果ならば良いのだけど、単に取り敢えず取っておく、はマズイ。捨てる能力が失われ始めているからだ。

家の整理で母の結婚前のアルバムも出てきたため母に渡したのだが、母の懐旧の情をかき立てることはなかっていた。全く覚えていない人達との写真集など、特段見たいとも思わないのはやむを得ない。

そういう現実を知ると、いずれ老後になったらもう一度じっくり見ようと思っていた自分のアルバムや文集も、その頃にはその価値を見いだせなくなっているのではないか? と少々不安になる。

そして、今まで迷ったら「捨てるのはいつでもできる」という安全側の判断、ぶっちゃけ単なる先送りにしてきたことも、改める気になった……結果として、捨てるものが増えたw

将来懐かしいと思うかも知れないとはいえ、あれもこれも取ってはおけない。スペースは有限である。

何より、昔を懐かしむ老後よりも、死の間際まで何か新しいことに興味を持ち続ける若い精神力を保ちたい。そう考えている。

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