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バス停がわからなくなった日

母は身体が弱く入院することがあり、そんな時に私は親戚の家に預けられることがあった。

当時、私が通っていた市内で一番のマンモス保育園では通園バスが各地域にたくさん走っていて、私は親戚の住む町から通園バスに乗り、帰りは初めて乗るそのバスで帰ってこなければならないミッションを与えられた。

親戚宅から初めて向かう保育園、普段通り保育園で過ごしたが、帰れるか…不安で緊張した。バスに乗り遅れてはいけない。担任の先生が気遣って声をかけてくれたのをうっすら覚えている。

(よかった乗れた…)

ホッとした

バスを降りる場所はわかっている…はずだった。
従姉が迎えに来てくれることになっていた。

(お従姉ちゃんが待っていてくれるから…)

大丈夫…

しかし、その親戚の家までの道はマンモス団地が建ち並び、車窓から見える景色は全て同じで、私の小さな心臓は不安でいっぱいになっていった。

(ここかな…ここだと思う…)
(あれ?お従姉ちゃんがいない…)
(次のバス停だったかな…)

降りなかった。
バスは発車した。

窓の外を見下ろすと、慌てて手を振る従姉の姿が見えた。

(え!!帰れない?!)

5歳の私はパニックになり取り乱した。
大泣きで運転席まで走っていた。
従姉はバスを追いかけて走っている。

「おりますぅ〜 うっうっ」

運転手さんはすぐに停車してくれ、私はありがとうもごめんなさいも言わずに、大泣きのままバスを降り、従姉のところまで走っていった。

最悪な事態は翌日起こる。

「おりますぅ〜 うぅ〜 メソメソ」
「こいつ泣いてんの〜」

生まれて初めて指を向けられ馬鹿にされた私は、とにかく恥ずかしく、それを隠そうと必死で、顔を真っ赤にしながら

「泣いてないもん!!!」

と、叫んだ。

嘘を言ってしまった罪悪感…
なんともいえない後味の悪さ…
すっかり忘れていた昨日の出来事…

その7年後、中学生になった私は忘れていたその出来事をまた思い出すことになる。

「こいつ保育園の時、バス降りられなくて泣いたんだぜ〜」

「えー私泣いてない〜 きっと違う子だよ〜」

これは正直な言葉だった。
あの忌々しい出来事を覚えてなかったのだ!

その日の晩…

(あっ)

思い出した。

その後、中学校でその話題に触れられることはなかったが、おかげで何十年も忘れらない涙の思い出となってしまった。

あの時はバスでどこか遠くまで連れていかれてしまうのではないかという恐怖でいっぱいだった。

運転手さんにお礼を言えなかったこと…
それだけは後悔している。

ごめんなさい
ありがとう

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