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024. あったかい手

母方の祖母の命があまり長くなさそうなので、意識のあるうちに祖母に会って欲しいと母から連絡があった。去年母から祖母が癌だと聞いたときから「あぁきっともう長くないのだろうな」と予想はしていたので、悲しさも驚きもなかった。

私は身内の死が得意ではない。正確にいうと身内の死に対して感情を表に出すのが得意ではない、というかできない。初めて身内の死を経験したのは、父方の祖父が亡くなったとき。私は小学生6年生だった。学校に母が迎えにきて、そのまま病院に向かった。その日のうちに祖父が亡くなったわけではなく、その2日後くらいに亡くなったような気がする。私がはっきり覚えているのは、学校を早退して祖父に会いに行った翌日のこと。依然として危篤状態に変わりはないため、また家族で病院に向かおうということになったのだが、私は1人留守番を決め込んだ。当時私はきっとそれが祖父と会う最後の機会になるのだろうとわかっていた。だから行けなかった。ドラマでよく見る、危篤状態の人を家族で囲んで涙を流したり、「おじいちゃんに最後の言葉を言ってあげて」だったり、そんなシーンに立ち会うことになるかもしれないと思うと絶対に病院に行きたくなかったのだ。祖父のことは大好きだったが、悲しみや祖父への感謝を家族の前で素直に吐き出すことに抵抗があったのだ。結局そのまま祖父は亡くなった。その後も父方の祖母、母方の祖父と、人生の中で身内との別れを経験してきたが、私が何かしらの感情を表に出すことはなかった。昔から、家族の前で「悲しい」や「辛い」を表現することが苦手だったし、実際にそこまで悲しく感じていなかったというのもあるかもしれない。

だから、今回母から連絡をもらった時、真っ先に頭に浮かんだのは「またあの苦手なイベントがやってくる」ということだった。どうせ会ったところで優しい言葉の一つもかけられないだろうけれど、祖母にはお世話になったので昨日きっと最後になるであろう面会に行ってきた。案の定、ベッドに寝転ぶ祖母に「今日は暖かいね〜」「おばあちゃんこのカバンには何が入ってるの〜?」なんて当たり障りのない言葉をかけてその場を繋ぐことが精一杯だったし、祖母ももう私のことを覚えていないのでまともな会話にならなかったけれど、最後に病室を出る前に、せめてもの孫孝行として「また来るね」と祖母の手を握ると、祖母が今までで一番大きな声で「おぉ、あったかい手だ〜。すごく温かい手だねぇ」と言った。それまでの他人行儀な言葉とは違う、私が幼いころに聞いていた祖母の声と言葉だった。私はなんだか急に恥ずかしくなって「おばあちゃんの手もあったかいけどね笑」なんて言って笑って誤魔化した。結局その後直ぐに部屋を出てしまったけれど、あの時の祖母の声がずっと頭の中に残っている。


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