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006. 彼らの光は生きていた。

大学時代の友人と(元)推しグループのライブを観に東京ドームに行って来た。(元)をつけたのは当時のような熱量で彼らの活動を追うことができなくなってしまったからだ。中学生のころから応援してきたグループへの熱量が変わってしまった理由は、私の年齢や環境の変化に加え、彼らに起こったたくさんの変化のせいでもあると思う。もっとも大きかった変化は、彼らの音楽を支えていた一人のメンバーが自死したこと。彼はグループの曲を作詞・作曲したりしていて、今思えばグループの音楽性そのものが彼に依存していたのだと思う。私は彼が死んでから、彼抜きでつくられる彼らの音楽を単純に好きになれなかった。音楽を好きになれないと活動を追うこともなくなり、自然と彼らから離れて何年もの月日が経ったが、先日大学の友人(推しグループをきっかけに仲良くなった)が声をかけてくれたことをきっかけに今回のライブに行くことになった。彼ら自身、東京ドームの舞台に立つのは6年ぶりだという。遠くに行ってしまった彼のほかに、もう一人活動から離れているメンバーを除き、五人中三人がドームの舞台に立った。過ぎてしまった年月と変わってしまった私と彼ら。昔のように楽しめるか一抹の不安があったが、そんな不安はライブ開始とともに吹き飛んでいた。披露される楽曲たちは紛れもなく私が大好きだった音楽たちで、マイクに乗せる歌声は三人のものだとしても、私の頭の中にはきちんと大好きだった五人の音楽として届いた。そうだ、音楽とはこういうものだった。過ぎ去った年月、離れていた距離、変わってしまったもの、全てを追い越して当時の記憶を呼び起こしてくれる、それが私が愛した「音楽」というものだった。そして、私が愛したものは音楽だけではない。途中あるメンバーがMCの中でこう言った。「いつもみなさんが僕にとっての希望です」と。彼が十年近く言い続けている言葉だ。日本語にするとストレートすぎるその表現に、毎回少し恥ずかしさを感じつつも、その真っ直ぐさに涙している言葉。今日も例外ではなかった。アイドルとファン、側から見たら商業の上に成り立つ不健康な関係かもしれない。アイドルの言葉を真に受けることを嘲笑する人がいるかもしれない。それでも、私は、誰かの希望になれることが嬉しかった。こんな私を希望と言ってくれることが嬉しかった。あなたの希望でいれることが、私の人生の希望かもしれない、そんなバカみたいなことを思って今日も涙を流した。応援の熱量や愛の形が変わってしまったとしても、多感な学生時代を十年近く一緒に過ごした彼らの光は、私の中でちゃんと生きていた。今日そのことに気づけて本当によかった。


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