思い出、別れ

生まれてから今まで(23年)育ってきた家から親が引っ越すことになった。18歳から自分は県外に出て住んでいたわけではないけどたまに帰ったりしていた場所。帰らなくても近くを通ったりするだけでも家があるという上手く言えないけど嬉しさみたいなものがあった。最後に行こうと思い戻ってきた。色々な思い出がある。ほとんどが小学生に入る前ぐらいの小さい時の思い出。

玄関前で遊んでた場所
カブトムシを飼っていて亡くなった時に土に埋めた場所
今はちょっとした階段になっている
走り回った場所
たまに捨てに行ってたごみ集積所

少し変わったところもあるけど、思い出はそのままの場所にある。自分以外の誰かにはただ当然にあるようなものだけど自分だけはいろんな思い出のある場所。だけどこの場所と別れる時になって思い出に浸っているのもずるい気もした。


そして引越しをするから荷造りをしなければならない。部屋からまたいろんな思い出のものが出てきた。自分の親は離婚していて今住んでいるのは母だけだけど昔は父も一緒に住んでいた。その時の3人の思い出のものが出てきた。

小学1.2年ぐらいの時に作ったもの

これを見たら3人でいた時の面影もこれを作っていた時のただただ純粋な気持ちも思い出して涙が出てきた。家族3人でいられなくなった今と、これを処分するということに悲しくなった。

一回落ち着いて涙を拭いた。

荷造りを再開したら保育園に行っていた時の写真が出てきた。笑っていた。笑っている小さい自分は何を笑っているのか、誰に向かって笑っているのか、誰にこの笑顔を撮られているのか、3人の中の笑顔なのか、この時は親が離婚するなんて思ってもなかったな。そんなことを無意識か意識してか思うとまた涙が出てきた。一つ一つ見ていたらきりがないし片付かない、キリがないといって一つ一つ雑に捨ててしまうと思い出に申し訳ない、自分が子供なだけなのか、こんなことで泣ける自分はかっこいいのかどうすればいいのかわからなくなった。泣いている自分に「どうしたの?」と声をかけながら荷造りをする母。わからないまま泣いているけど時間は進み片付いていく。

少しして泣いている理由を話した。そのあと話をしたが何を話したかあまり覚えてない。だけど一つ一つありがとうといってさよならをすれば大丈夫だよと言われたのは覚えている。一つ一つ見ているとキリがないと思ったのは荷造りをしているのが夜遅くて母の邪魔をして怒られるかもしれないと思ってそう思ったのだけどそう言われてすごく救われた。一つ一つちゃんと見ていいんだ。


すごく楽になってちゃんと一つ一つ見て感謝をして捨てる、捨てない、と荷造りを進めた。

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