父、暴走。ときどき死にかける。

大騒ぎが日常化している父。

あるとき、3度死にかけたと大騒ぎしていたことがあった。
どうせ大したことはないだろうと思いながらも、暇だったので聞いてみることにした。
3度というのはどれも飛行機内のことである。
1度目は、離陸走行中にドアがいきなりバーンと開いたという。黒人の大きな男性3人が力を合わせてドアを閉めたらしい。
「見たぞ、あいつらはスゴイ」とのこと。

2度目は、胴体着陸。
車輪が出なくなり緊急で胴体着陸をしたとのこと。
例のごとく、頭を下げて…の姿勢をとったらしい。窓の外をチラッと見たら案の定、すごい火花がみえて、
「もうダメか…と思った」とのこと。

3度目は飛行中に片方のエンジンの火が吹いたこと。片方止まっても飛んだらしい。
「火、吹いたぞ」とのこと。

全部、アメリカでの話だったように思う。

しかし、

この男、3度どころではない。

過去に盲腸と診断され、注射で痛みを飛ばし、しばらく様子をみていたが、あまりの激痛に耐えきれず、「今すぐ腹をかっさばいてくれっ!」と夜中に大騒ぎしたのだ。
医者も父をよく知っていたらしく、実際にかっさばいてみると、実は腹膜炎で死にかけていたという。

数年前の夏には、首元におできが出来、「癌かも知れない…病院に行きたい」と言い出した。

風邪でも遺言を残しかねない、いつも大袈裟な狼少年のような父。家族は「虫刺され」とし、「オロナインを塗ればいい」と冷たくあしらった。 
それでも心配性な父は病院に行き、見事、「癌です」と即答された。
しかし、それを聞いた私たち家族は、まさか本人にその場で告知するわけがないということになり、華麗に聞き流した。
が、精密検査の結果、ステージ4の中咽頭がんが確認され、三ヶ月以内に手術しなければ、確実に年は越せないと言われた。実に、余命三ヶ月。
さすがにこの事実はビビリの父には伏せられた。


その後、セカンドオピニオンで癌じゃないですと言われ、サードオピニオンでもあやふやにされている。
結局、セカンドオピニオンだろうがサードオピニオンであろうが誤診は多々あることが我が家では着々と証明されていったのである。

自分の余命を知らない父は、どうにかなるだろうと思ったのだろう。手術を拒みに拒み続けた。
癌にも何にでも効くという「魔法の水」というものをとある場所から仕入れてきて(1本750ミリリットル¥2000)を1日に2本飲みきるという暴挙に出た。

恐ろしく高いその水の箱が我が家に山積みになっていくのをみて、私はどこにこんなお金が隠されていたのだろうと思った。

ついでに他人から勧められるままにプロポリスやカテキン、果てはブルーベリーエキスなど、明らかに関係ないだろうと思われるあらゆる健康食品にも迷わず手を出していた。

結果、優秀な外科医にお会いし、家族で説得しまくり、ギリギリ手術で助かったのだが、父の中で魔法の水への感謝は捨て切れていないようである。

余命宣告から5ヶ月後、大晦日に二日ほど仮退院した父は喉をかっさばいたくせに、数の子を鵜のように飲み干し、その健在ぶりを発揮。
五年後生存率二十%も知らぬまま、ぶっとばし、現在に至る。
ますます生きることに貪欲だ。

ちなみに、手術後、個室から大部屋に移った際に、毎朝の検温時に頼まれもしないのに部屋の点呼をとり、「305号室、全員無事であります」と入り口で敬礼する父は、看護師さんに絶大な人気者だったという。

こういうふざけた生命力が彼を生かしているのかも知れない。
笑いを忘れることなく生きることが何よりの免疫なのではないかと思う。

暇だから聞いた話でやった話であるが、サイパンでお化けに会った話や中国での怪しい時計屋の話やら彼の話はいつもてんこ盛り以上である。

書けない話のほうが多すぎて残念ではあるが……。

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