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お父さんシリーズ

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我が家で起こった出来事を綴ったエッセイです。 この「お父さんシリーズ」はずーっと前、ほかのところでこっそり書いていたエッセイ。私が脚本を書くようになる前に、ひょんなことから、尊敬…
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#お父さんシリーズ

秘宝館の娘

私は 「秘宝館の娘 」である。 実家が突然、秘宝館になったのだ。 きっかけは父のガンからの生還。 彼は生から性へのさらなる飛躍をしたのである。 それは突然に訪れた。 日に日に家の中に、いわゆる「開かずの間」が増えていったのだ。 「なぜ応接間が立ち入り禁止?」と父に聞いてもニヤニヤとしているだけで決してそのワケを答えようとしない。 母においては、その話題に触れてはいけないという殺気をビンビンに放っている。 ……ということはある程度の予測はつく。 よからぬことに違いな

父、暴走。恐怖の回転寿司。

父は食べるのが大好きである。 昔から、色んな食べ物屋さんに連れていってくれた。 しかしそのどこもが、 恐ろしく汚いが美味しいというホルモン屋さんだったり、カエル専門料理の店であったり、帰りに無理心中するんじゃないかと心配するくらい敷居の高い店であったりと、とても子ども連れで気軽に入れる店ではなかったりした。 だから、私は「家族でファミリーレストランに行く」というのがその当時の小さな夢だった。 昔はお鮨屋さんも回転していなかった。瀬戸内の小さな町だったので、お鮨は回転しなく

父、激走。女と耳について語る。

うちの父にタブーという言葉はない。 大晦日の昼間だった。 慌ただしく妹と一緒に、母のお節料理づくりを手伝っていた時である。 成人した女が三人寄ってワイワイと料理をしている横で、様子を覗きにきた父が、突然、妹に言った。 「ちょっと耳を見せてみぃ」 妹は何のことかわからず耳を見せた。 父は 「ありゃっ!これは、男が離れられんわぃ」 と言った。 続いて私にも耳を見せろという。 父は、私の耳を見て、 「ありゃ!お前もか…っ!」 と、言った。 何を確かめているのかわか

父、泥酔。母に規制戦を張られる。

父は酒と煙草と人間をこよなく愛する男である。 しかし、愛しすぎて失敗することが多々あるわけで……。 ある朝のこと、父の部屋の入り口付近に、ビニールの荷物ヒモが張りめぐらされていた。 刑事ドラマなどで「Keep out」と書かれているようなテープである。 げげげ!? 何が起こったんだろうと覗きこんでみたものの、部屋の中は別段変わった様子はない。 ダイニングへ行くと、父はいつものようにニヤニヤとテーブルに座って貧乏ゆすりをしていた。 母は父に背を向け台所で黙って朝食を

父、覗きを裁かれる。

父は、非日常が大好きである。 もめ事が大好きである…とも思う。 妹と私が 「あー。疲れた。人生に疲れた」 と、実家に居候した時である。 母は「好きにしなさい」と言い放ち、 父は「困ったもんよのぉ~!」と… 案の上、大喜びした。 私と妹は二人で、父の部屋の隣の部屋に居候した。 私たちは、 「この先、私たちって幸せになると思う?」 などと、真剣に話していた。 と、足音がする。 トットコ、トットコ、トットコ…。 「あ、お父さんがきた」 その通り。 次の瞬間、父がドア

父、血迷う。演歌歌手になる。

思いついたら即実行。 父に「ためらい」という言葉はない。 ある日、父が「お父さんは歌手になろうかなぁ」と言い出した。 なろうかなぁ=なる……である。 母は、「どうぞ」と知らんぷり。 子どもたちも知らんぷり。 言い出したときにはすでに始まっているに違いない。 止めても無駄である。 ある時など、父は、フラッと立ち寄った電気屋で店員にお勧めされるがまま冷蔵庫を買ったらしく、母に言えず、黙っていた。電気屋が配送に来て玄関チャイムを押した瞬間に白状した。「あ、冷蔵庫、買ってしま

父、人助け。松の実と愛人さん。

小学生の頃の話。 よくお客さんの来る家だった。 田舎のせいもあって、いつも応接間にはお客さんがいて、知らない人たちが食卓にいることもしょっ中だった。 今もそれは変わりなく、知らない人が知らないうちに一緒に座って紅白歌合戦を観ていたりする。実家に帰ってだらしなく寝そべってテレビなど観てお尻を掻いたりしていると、近所のおじさんが後ろにいて、ギョッとする。 ろくなもんじゃない。 ある日、父の小さな会社で働いている男の人がやってきた。 その人の裸踊りを見たことがある

父、猿にまわされる。

もう二十数年前になるだろうか。 なにを思ったのか、父がとつぜん… 「猿かわいいのぉ」 と、つぶやいた。 危ういながれを感知する力をもつことは我が家では必須だった。 「そうでもないとおもう」 と、家族は即座に淡々と否定した。 日○猿軍団やムツゴロウさんの動物番組が連日テレビを賑わしていた頃だ。 だいたいのところ、そういうドキュメントをみて、そのつぎの瞬間に父は必ず「わしもやろう」というのである。 案の定、「日本猿を飼いたい」といいだした。 「猿なんて飼ってどう

父、暴走。骨董にはまる。

凝り性の父。 焚き付けられたら勢いよく炎を上げる。 そう…燃え尽きるまで。 きっかけは父の実家である母屋を片付けていたときだった。 脱穀機やら、蓑笠やら、千歯こきやらが続々と出てきたことがあった。 もう使われていないものだったが、祖父母が納屋にしまっておいたものだろう。 そして、それと同時期に我が家の増築の際に古銭やら陶器などが出てきたことである。 そこから、何やら、不穏な動きがはじまった気がする。 古くて珍しいもの…つまり骨董というものに確実に目覚めはじめたのだ。

父、暴走。庭に温泉を掘る。

言い出したら絶対にあとに引かない父。 ある日、突然言い出した。 「庭に温泉を掘る」 庭に温泉……? 耳に入ってきた言葉がまったく理解不能。 何が庭に温泉だ。 いくら県庁所在地が有名な温泉どころといえ、掘ったからってすぐに温泉なんかでるもんか、いや、庭に掘るってそれなに?という感じだった。 しかし、言い出したら聞かない父。 温泉を掘り当てた後の莫大な構想をこれでもかと饒舌に語る。 24時間、湯水は使い放題。電気代もただ。 お客を呼んでひと稼ぎ。観光地にしてしまおう

父、暴走。お山の大将になる。

モノマネが大好きな父。 おハコは 赤フンを身に付け、仕込み刀を振り回す…アレなのだが、時々、浮気する。 ある五月の晴れた日曜の朝……。 父は「ぼ、ぼくは、お、お、お散歩に行きたいんだなぁ……」と、突如ニヤニヤとしはじめた。 「出たよ……」 家族は当たり前のごとく無視である。 こういう時はそれぞれのやるべきことに集中し、決して父に同意しないという暗黙の了解。 そんな家族を自分に振り向かせるかどうかが父にとっての勝負である。 しばらくの沈黙のあと、無視する家族にへこた

父、暴走。ときどき死にかける。

大騒ぎが日常化している父。 あるとき、3度死にかけたと大騒ぎしていたことがあった。 どうせ大したことはないだろうと思いながらも、暇だったので聞いてみることにした。 3度というのはどれも飛行機内のことである。 1度目は、離陸走行中にドアがいきなりバーンと開いたという。黒人の大きな男性3人が力を合わせてドアを閉めたらしい。 「見たぞ、あいつらはスゴイ」とのこと。 2度目は、胴体着陸。 車輪が出なくなり緊急で胴体着陸をしたとのこと。 例のごとく、頭を下げて…の姿勢をとったらしい

父、暴走。夜鳴きうどんに走る。

私が確か高校生の頃。 あるブームが我が家に巻き起こった。 タイトルの如く「夜鳴きウドン」 屋台のおウドン屋さんである。 たまたま、我が家の前を通りかかった夜鳴きウドンの屋台の車に父が声をかけ、食べたのがコトの初まりだった。 冬の寒い夜だったことと、その美味しさと温かさ、夜食として食べるという特別な条件がまさに父の心を鷲掴みにした。 「このウドンは世界一うまいっ!」と父は絶賛し、屋台のオヤジさんは上機嫌だった。 家族も最初は喜んで食べていたが、凝りはじめると、とこと

父、暴走。恐怖の個人懇談。

中学三年生の時であった。 高校受験も押し迫り、生徒もソワソワ、先生もソワソワ。 お決まりの 個人懇談が行われることになった。 込み入った話もするのだろう。 当事者抜きの先生と親の受験前、最後の懇談である。 通常は母が対応していたのだが、その時はどうしても何かの用事で来られないという。 日程を変更してもらおうとしたが、なんと、父が代打で出席するということになった。 正直……それだけは、やめてくれと思った。 父がまともな対応をする人間だとは思えない。 母も、きっと