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最初の日々から病名の告知まで

寝込んで起きられない日々

保育園で”自閉症かもしれません”と伝えられてから、1ヶ月。

泣き通してベットから起きることが出来なかった。24時間中、18~19時間ほど寝ていた日もあった。その間、実家から両親が来てくれて、夫と共に長男のサポートをしてくれた。

長い間寝ていると変な夢を見続ける。そして、現実と夢の世界の境がわからない感覚になる。長男が自閉症だとわかったことが現実なのか、夢なのか、わからなくなる程だった。夢ではないと気付いて愕然として、また涙する、の繰り返しだった。

仕事も1ヶ月ほど体調不良という事でお休みをもらった。とてもじゃないけど、起き上がれないし、人と普通に話すことが出来なかった。

冷静な夫

この時、夫はとても冷静で、これからやるべき事を迅速且つ正確に調べていた。まずは、病院に行って診断してもらう事。そして、有名な先生のいる病院は2~3ヶ月待ちは普通だと言うこと。いろんな療育方法があること。そして、療育を始めるのは早い段階がいい事。

まずは病院に予約を入れた。案の定、3ヶ月先の予約となった。それまでにできる事は何か?と考えた末、住んでいる地域の療育センターに行く事だった。

療育センターでの絶望

地域の療育センターでは、発達障害に関して今ほど知識があったり、理解がある対応ではなかった。臨床心理士の先生が出てきて、”まずは様子を見ましょう。ゆっくり、状況を受け入れましょう。この療育センターでのトレーニングは1ヶ月に1度ほどになるかと思います”と言われただけだった。

その頃には少しづつ、療育方法について勉強を始めた頃だったので、早期療育が大切なのでは?と思っていただけに、”ゆっくり?それも、1ヶ月に1度?”と呆れてしまった。

今から12年も前の事だし、今はもっと発達障害自体に理解が深まっているので変わってきていると思うが、全て”お役所仕事の定型の対応”に、ここでは自分たちの思っているサポートが受けれらない、と自力でなんとかする方向に切り替えていった。

ママって言って欲しい!

この頃の息子に意味のある発語はなかった。

3ヶ月待って受けた病院の診断は”カナー型の自閉症の可能性”との事だった。一言も一生話せない可能性もあるし、話せるかもしれない。まだ、はっきりと診断が出せる年齢ではない、との事だった。

病院の先生は診断はしてくれるけど、長男の発達を直接助けてくれるところではない、とはっきりわかり、民間の療育施設を探す事になった。

その頃読んだ本が

わが子よ、声を聞かせて―自閉症と闘った母と子(Let me hear your voice)

セラピスト(療育者)の指導の元、母親も一緒に療育をする実話だった。

もしかしたら、いつの日か”ママ”って呼んでくれるかもしれない!この気持ち、この希望の光が灯った時、生きていこう!と決意した瞬間だった。

長男、2才7ヶ月になったばかりだった。


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