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タイムマシーンにお願い

100日の挑戦も、ミサンガもTOdoもNoteの更新も、表題も全て彼女からいただいたアドバイスに沿ってやっていたことだということをこの場で謝罪いたします。


彼女の応援があったからこそここまでこれたこと、そこだけは忘れないように記しときます。

たくさんのアドバイスを実行させてもらってきたわけですが、
1.読書をする
2.相手に対し誠意ある態度で反省する
3.日々のfecebook投稿、todo、Noteの在り方
4.Weeklyの上げ方
5.反省と目標を月ごとにする

などです。

本を読もうというのは、彼女からの助言です。


彼女は私が私を顧みる一種の方法として幼少期を振り返ることを私にすすめて来られたんです。これが、あまり気がすすみません。大事な自分自身の部分をなぜさらさないとあかんの?そうゆう自分がいるんです。
Note公開することはしなくてもいいように、2個のnoteを用意するなどで事前にお話があったんですが悟れなかった自分がもう終わりました。


でも、考えました。どうしたら、彼女の言うところと、私の思いに接点がもてるかということを。


ミヒャエル・エンデ『モモ』の本からインスピレーション受けて🌟🌟🌟🌟

〜私の幼少期〜
✫✫✫✫【昭和50年代】にタイムスリップ✫✫✫✫

【保育園に通っていた頃の服装】
服装水色の園服

スモック
ビニール靴


いやいやなんかあまり好きじゃなかったんです。この靴。なんか手触りは音がなる面白いけど蒸れるもん。でも昭和のこと当時はこれを履いてる子どもたちがいっぱいでした。なぜこの時代にビニール靴が売れたのだろう?

ビニール靴

【幼児期私服】
幼児期に着せてもらっている服を見てもぜんぜん自分が着たいと思って来ているものでもなく、とてもかわいい格好をしていますが、全く覚えていません が。

【保育園に通っていた頃大好きだった人】
ただ、おばあちゃんは大好きでした。
おばあちゃんが作ってくれる高菜のおむすび🍙が大好きでした。

【どんな子どもだったか】
いつもおどけるのは大好きでヘルメット被っておどける顔をしていたり、そんな自分のイメージはなんとなくあります。感受性は豊かで怒られたりするとよく泣いていました。泣いたらまた怒られるので、ますます泣きます。ただ泣いて、どうして怒られるのかぜんぜん理解できなくて困っていましたね。
人形遊びが好きで、ひとりやお兄ちゃんと遊んでいました。おばあちゃんが植えてくれた自分の家にあった金木犀の花でお弁当を作るのが大好きでした。
あとは、保育園の先生が大好きでした。
「コーコホイクソイク」
そんな風に母に話をしていたそうです。


その頃のわたし

p,s
今日、長野から新大阪へ。西野さんの『夢と金』の出版イベントでした。
行われた場所が明月記で、キングコングを結成した場所。星空の絨毯のような夜景。
私は、朝の便でホテルを出て、名古屋経由で新大阪に。大阪から川西能勢口駅へ。駅からタクシーに乗って明月記に行ってきたよ。
✫空の絨毯がね。本当に綺麗だった。

あんな夜景見たことない。

大きな口を開けて胸も高鳴る空気感。もう緊張したし感動的でした。

静かに静かに歩けた空間が何よりもうれしかった。

街中に優しい時間が響きつづけるように。
そう願い祈ることが大切なんだ。

小さな子ども達と遊び終えてただ嬉しかった。
ありがとうといいたくなる空間。


もうすぐ大阪。大阪から夜行バスでまた長野に帰ります。



次は、夢と金の感想文かけるといいなと思います。子どもの感想文。
その後は、タイムマシーンに乗って〜私の児童期〜

またきてね!読んでくださりありがとうございます💖

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