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女性の「ライフコース」とモヤモヤ|Noriko Yanagitani

こんにちは。柳谷典子です。
女性の生き方を考える上で知っておきたい「ライフコース」という考え方について少し考えてみたいと思います。

ライフコース、ライフサイクル、このような言葉を聞いたことがあるかもしれません。いずれにせよ何かしら、人の一生についてのパターンに関することのように見えますね。

ざっくりいうと、ライフコースは個人の生き方の変化から社会を捉えるもの、ライフサイクルはある一つのライフコースのパターンがどれだけ社会で再生産されているかパターンの変容からとして社会の様相を捉えるものです。ですから、厳密に言うと、ライフサイクルとライフコースは異なります。
でも、これだけではなんのことかわからないですよね。
「個人の生き方の変化から社会を捉える」ことと、「生き方のパターンから社会を捉える」ことの違いは何なのでしょうか?

まず、ライフサイクルについて少しお話します。
ライフサイクルとは、もともと生命の変化を意味する生物学用語でしたが、人間の一生の生活や活動のパターン及び規則性について表す用語として社会科学の分野で移入され、人の生活パターンにおける経済的側面に着目することから始まりました。
ある指標年を設定し、その指標とする年の人々が社会的に獲得する役割、(例えば、妻、母などの役割)がどのように移行していくかを観察することによって、指標とする年における標準的な人生パターンが世代間や同時代内で再生産されているか、また社会の変動との連関性を示すものです。つまり、「塊」としてパターンを示し、その時代性を読み解くと言えるでしょう。
社会学者の嶋﨑尚子さん(2008)によりますと、ライフサイクルとは「あるひとつのライフコース・パターンが高い頻度で再生産されること」と定義されています。
例えば、1975年生まれの私は、現在45歳ですが、1975年生まれの私達が「群」としてどのような社会的役割の変化を平均的に起こしているのか。例えば、私が中学生頃のドラマでは、女性の結婚適齢期についてクリスマスケーキになぞらえ、25歳までに結婚することが一つの目標ラインのように語られていたように思いますが、それがいつのまにか30歳を一つの目標ラインにするように変化しました。そして、2020年の今、30歳もすでに目標ラインとされていないかもしれません。これは一体、どのようにそれが起きたのか?要因としては、一つは、女性の高学歴化が挙げられるでしょう。女性の高学歴化はグラフで見る通り年々増加しており、それが結婚の理想的年齢の上限どのように関係しているのかもしれません。また、例えばそれには長い不況による経済的な影響もあるかもしれません。


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(出所:厚生労働省「平成20年版 働く女性の実情」)

ちなみに、このライフサイクルについては、フロイトの創始した精神分析学から始まる生涯発達研究において、1970年代にレビンソンというアメリカ人研究者を始めとしたアメリカの研究者が、一般の人々に共通する成人期の発達プロセスの解明を通して独自の発達理論を発表し、成人の発達という観点からパターン化されるライフサイクル論が活発になりました。

日本においては、主に心理学の中でアイデンティティ発達の視点からライフサイクルは研究されてきました。ライフサイクルは、ある一つの標準パターンの時代間、世代間の再生産を観察するものであるため、社会が豊かになるにつれて、女性のライフサイクルはかつてのように結婚・出産だけが人生の選択肢ではなく、学びや就労を通して様々な生き方の選択肢と可能性を見出すことができるようになったので、「群」として捉えていくには、あまりにも多様になった生き方を反映することが少しずつ困難になってきました。また、個人や家族の内面の変化における歴史的出来事など外部要因の影響を捉えにくいことから、日本における社会学の視点では、1980年代にライフサイクルからライフコースへと関心が移行してきました。

このライフコース研究の第一人者と言われるエルダーによれば、ライフコースとは「年齢別に分化した役割と出来事(event)を経ながら個人がたどる道(pathway)」(筆者訳) “the life course refers to pathways which individuals follow through age-differentiated roles and events”(原文) (Elder、1977)と定義されています。加齢と役割及びそれをもたらす出来事に着目する点において、個人の生き方が、内面の発達に加えて社会や人との関係性の中でもたらされる出来事によって影響を受けることが示されています。言い換えると、個人の人生において役割が移行していく重要な要素として社会との関わりがあり、その個人個人の選択の変化は社会構造の変化に起因していると言えます。そして、個人としての選択がある一定の年齢の群で変化していくと、社会構造の変化の要因にもなるのです。
アメリカのジャーナリストで作家のゲイル・シーヒーがさらに興味深いことを示唆しています。現代では急速にライフサイクルに変化が起きており、40代は本来成熟を迎える中年期への移行期とされてきたにもかかわらず、成熟した感情を抱いていない人が多くいたことを確認し、かつて暦年齢で区切られてきたライフイベントが通過儀礼的に基準とされてきたが、もはや年齢基準は変わり、基準とはならなくなってきたことを指摘しています。(『ニュー・パッセージ 新たなる航路(上・下)(1997)』)
なぜ、私が今回このライフコースの話を始めたか、というと、一つは、日本においても年齢はもはやライフイベントの基準とはなっていないのではないか?という疑問。そして、もう一つは、ライフイベントにまつわる社会通念は個人の選択の変化がその意識を変えていくのではないか?という疑問。
社会の変化に左右されるように思える個人の人生も、見方を変えると、個人個人の選択の一つ一つが社会を変えていくこともできるとも言えるのではないかと思うのです。
個人的な話になりますが、私は、私の人生を自分で選択してきたと思っていますが、一方で、私の選択の根底には社会通念に左右された部分が大いにあったと思います。例えば、大学へ進学すること、就職すること、結婚すること。
でも初めて社会通念に逆らった選択をしました。それは夫と同居しない結婚生活の形態をとること、子どもを持たないこと、です。
よく、皆さんから言われます。「普通、結婚したら一緒に住むよね?なんで一緒に住まないの?」「子どもは要らないの?」 
この言葉から読み取れることは、結婚したら一緒に住むことが「普通」であり、社会通念となっています。ですから、そこから外れる選択はイレギュラーです。同じことが子どもにも言えます。普通、結婚するということは、家族を形成していくということという社会通念が基本にありますから、子どもを持たないということも、また、イレギュラーな選択なのです。 もちろん、これは私個人の選択ですので、個人的な話でありますが、一方で、もし、この選択が「普通」の選択の一つになれば、それが「普通」と思われる社会になっているということです。こんな色々なことをモヤモヤと思いながら、時折、それが今の社会ではどのような言葉となって「語られて」いるのか?そんな事を考えています。
それでは、今回はここまでにします。また少しずつ日常のエピソードを交えてお話していきたいと思います。


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