見出し画像

大川魚店@いわき 大川勝正さん(平11産関)・朋子さん(平10産関)

福島県いわき市。JR常磐線四ツ倉駅から徒歩7分、四倉海岸からほど近い場所に、客足の絶えない魚屋がある。明治43年の創業以来、地元の新鮮な魚を取り扱ってきた大川魚店だ。水産加工業として創業し、昭和25年に鮮魚店として業態を変更。歴史ある家業を受け継ぎつつ、店舗改装や商品ラインナップの拡充など、地元の人に愛される店づくりに奔走するのは4代目の大川勝正さん(平11産関)・朋子さん(平10産関)ご夫妻だ。起業の夢を抱いていた大学時代の思い出からサラリーマン生活、店を継いでから今日に至るまでの奮闘の日々をたっぷりとお伺いした。

ヨットサークルに打ち込んだ大学時代

 高校時代までを地元のいわき市で過ごした勝正さん。高校卒業後は浪人し、都内の予備校の男子寮で生活をしながら大学受験の準備を進めていたという。そんな時、予備校の先生に勧められたのが立教大学の産業関係学科だった。入学後は一人暮らしをしながら、居酒屋やCM制作会社などいくつかのアルバイトを経験。学科の授業では、企業が実際にとったアンケート結果からグラフを作成して傾向を分析するなど、統計学をベースとしたマーケティングを学んだ。「高校の時から、将来は自分で会社をおこして好きな事を仕事にしたいなと思っていたんです。産業関係学科は経営学とは少し違ったけれど、幅広い事柄を学べるのは社会学部の良い所だなと思っていました」と勝正さんは当時を振り返る。

 大学時代一番の思い出はヨットサークルでの活動だ。高校まで水泳部だった勝正さんがヨットを選んだのは「大学時代にしか出来ないようなことに打ち込みたい」という思いからである。葉山にある一軒家をサークルの活動拠点として借りており、毎週末そこで練習をした。風向きや船体の傾きを見ながら常に次の一手を考えなければならない細かさは、「まるで海の上で将棋をやっているみたい」だと語る。奥様の朋子さんともヨットサークルがきっかけで出会った。横浜出身の朋子さんにとって、地方の町に根ざした店へ嫁ぐことはむしろ田舎暮らしへの憧れが叶う転機でもあり、結婚してから現在に至るまで、4人のお子さんを育てながら二人三脚で店を経営してきた。

店を継ぎ2日で改革宣言
サラリーマン時代の経験活かして

 就職活動の時期、自身の起業イメージを「海外の嗜好品を取り扱う食品商社をやってみたい」というところまで具体化することはできたものの、会社を立ち上げるリスクに対する不安も同時に抱き始めていた勝正さん。悩み考えているうちに、実家も魚、つまり食品を扱う会社であると気付き、そこで初めて店を継ぐことを決めたという。そして卒業後はモノを売る仕組みを知るために大手スーパーへ就職して約3年間総菜部門に勤め、2001年に大川魚店へ入社した。

 経験も積み順調な走り出しかと思いきや「店に立った初日、これじゃダメだ、とすぐに思いました」と振り返る。当時は店の一番奥に冷凍庫があったため作業動線が非常に悪かったのだという。その翌日には店を大きく改装すると両親に宣言。併設されていた住宅を別の場所へ移動させ、エクセルを使って店内図面を手作りし、それをもとに業者へ改装を依頼した。改革宣言をした日から5年後の2006年に改装工事が完了し、思い描いた店が完成したのだった。

広々とした店内

 ハード面だけでなく、働き方といったソフト面も大きく変えた。歴史ある店ゆえに従業員は家族同然。あたたかい関係性であると同時に、マニュアルが存在せず曖昧な働き方が続いていた。そこでサラリーマン時代の経験を活かしてシフトの組み方などを変え、さらに天ぷらや寿司といった新たな総菜メニューも追加した。朋子さんが独学で作成を始めたホームページも、老舗の敷居を感じさせない親しみやすさと見やすさがある。自慢の鮮魚、総菜、冷凍商品、缶詰、乾物…店頭にずらりと並ぶ商品一つひとつに、「(自分が継いでから)ほとんど全部変えちゃいましたね」と笑う勝正さんの工夫が詰まっている。

総菜コーナーも充実
その場でさばく刺身は新鮮そのもの
地魚は週に3~4回、丸々として厚みのあるものを選んで仕入れている
売り上げナンバーワンの「いわき七浜漬」は、
「蓋を開けた時にいわきの海の幸が感じられるようなものを」と2代目が考案。
近年はおせちとして購入するお客様も多い

「町の魚屋でありたい」変わらない思い

 そんな大川魚店の今後の目標について「ずっと町の魚屋であり続けたい」と勝正さんは答える。店を継いで数年間は、外のお客様にもいわきの魚を食べてもらおうと東京の物産展や百貨店へ積極的に出店していた時期もあったが、2011年の東日本大震災後にそういった客層が一気に離れてしまった。津波が膝の高さまで到達し、一時は冷蔵庫や冷凍庫、浄化槽も使えなくなってしまった店を回復させるあいだ、商品を買ってくれたのは地元の人々だった。「離れていく県外のお客様を見て、あぁ、自分は何してんだろうって思って。それでまずは福島で一番の魚屋にならなきゃ、と。地元で愛されないと外へは行けないと感じたんです。」

 震災後しばらくは放射能検査もおこなっていたが、そのうち店中が検査結果の掲示だらけになっていった。店としての明るさや商品を購入する際の高揚感が失われてしまったことに加えてお客様の反応も少なかったため、現在は検査結果をファイリングして見たい人が自由に見られる形式になっている。風評被害については「今まで普通に暮らしていたのに、急に罵声を浴びる側になって。何だこの社会の変化は、と思いました」と当時を振り返る。

 売り上げが急激に落ち込む中で勝正さん自身の考え方にも変化があり、現在は風評被害にはあまり困っていないという。「たとえばピーマンが嫌いな人にいくらピーマンの美味しさを熱弁しても仕方ないですよね。それと同じで、福島産品が嫌だというお客様に向けて販売するよりも、そう考えない多くの人に向けて売った方がいいかなと思うようになりました。」たしかに震災は大きな影響を残し、店の売り上げや風当たりも一時的に変わった。しかしそれとはまた別の軸では、震災前から連続している大川魚店の日々や勝正さんの思いがある。

好奇心胸に「色々やってみる」

 2016年に泉店、2018年にうすい郡山店をオープンし、現在は3店舗体制の大川魚店。原発に近い立地柄、住民避難による人口減の影響も大きく、四倉本店だけで店の売り上げを回復させるのは難しいと判断し、震災前の売り上げを超えるために支店をオープンさせていった。さらに2023年には、いわき駅に新設される商業施設ビル内に飲食店とお土産品店をオープンさせる予定だ。飲食店形態は初めての試みだが、周囲からは以前より要望の声があがっていた。

 新しく物事を始める際、リスク以上に「知りたい」「やってみたい」という思いが強く、新商品をリリースするときも「ちょっとやってみて、お客様の反応を見てダメだったらやめれば良いかな」というスタンスで取り組むことが多いという勝正さん。今の大学生に対しても、自分の興味関心のあることを色々やってみてほしいとアドバイスをする。自身も、大学時代に経験したCM制作会社でのアルバイトが現在、商品写真を撮影する時に大きく役立っているという。「当時はムダだと思っていた経験が、大人になってから必ず生きてくるんです。だから何でも幅広く経験することは大切だと思いますね。」より良い店づくりのために変化を惜しまない勝正さんらしい言葉だ。

 新鮮な海の幸をバラエティ豊かなかたちで提供する大川魚店。地元の人々がひっきりなしに来店する様子はまさに「町の魚屋」である。



<店舗情報>

大川魚店
〒979-0201
福島県いわき市四倉町西3丁目6−8

6/2 2022年ほっき漁解禁! 昨日6/1より、地元のほっき漁解禁になりました。昨年は身がちょっと薄かったのですが、今年はバッチリです。四倉本店、泉店共に販売開始です。今日も漁があるので、いいとこ仕入れたいと思います。 #ほっき漁 #ほっき貝 #大川魚店 #大川魚店泉店

Posted by 大川魚店 on Wednesday, June 1, 2022