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新橋亭(しんきょうてい)@新橋 呉東富(ご・とうふ)さん(昭41営)

創業から今年で75周年を迎えた新橋亭。このお店の代表取締役会長を務める呉東富さん(昭41営)は、立教高校と立教大学の卒業生です。呉さんの学生生活や新橋亭への思いについて、お話を伺いました。

―修行とホテル実習で経験を積んだ大学時代―

新橋亭は、呉さんの父である呉宝祺(ご・ほうき)さんが創業して以来、代々受け継がれてきた。三男である呉さんがお店の跡取りになることが決まったのは、高校生の時。呉家では、大学入学から社会人としてみなす習わしがあったため、大学時代は、新橋亭の調理場で修行を積みながら学生生活を送っていたという。大学では、少しでも将来に活かすことができればという思いから、ホテル観光講座を受講。ホテル運営で求められる能力は、レストラン運営にも共通する部分が多いと考えたからだ。そんな呉さんにとって最も思い出深いのが、受講生の中で希望者のみが受けられるホテル実習での経験だと話す。実習先では、レストランのウェイター、ドアマン、ハウスキーパー、フロント・クラークの4つの仕事を学ぶことができたという。フロントで接客をした時には、英語で応対することもあったそうだ。呉さんは、実習前から見習いとして新橋亭で働いていたこともあり、客あしらいには自信があった。「ポケットがパンパンになるまでチップをもらったのも良い思い出だ」と笑顔で話してくれた。現在でも実習での経験は、社員教育をするうえで非常に役立っているという。「実習を通してさまざまな仕事を経験したことで、トイレ掃除などの目の行き届きにくい部分にも目を向け、注意することができた」と語った。

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貴重なお話をたくさん語ってくださった呉さん

―「自己満足で終わらせない」料理へのこだわり―

呉さんは大学卒業後も引き続き新橋亭で働き、39歳の時に社長へ就任。そして10年前、息子である呉祥慶(ご・しょうけい)さんに、社長の座をバトンタッチした。こうして引き継がれている新橋亭の創業は、戦後間もない昭和21年(1946年)。当時、目黒雅叙園の総料理長を務めていた呉宝祺さんの努力により、開業した。新橋にお店を構えた理由は、政治と行政の中心である永田町と霞が関に近いから。これまでも、名だたる政治家の方々が何度も訪れ、重要な話し合いの場になったこともあったという。そんな新橋亭のこだわりを尋ねると、「提供する料理には、中国四大料理の全てを取り込んでいる。どれも専門店以上のレベルに達していると自負している」と答えてくれた。そして、それを可能にする高い技術は、年に20回ほど行っている中国や香港、台湾などでの情報収集や、中国料理の本場での数か月間にわたる研修によって得ているという。お店の一押し料理は、「フカヒレ姿煮」。世界中で食べ比べた中でも、群を抜いて美味しいそうだ。料理を提供するうえで大切にしていることについて、呉さんは「自己満足で終わらせず、常にお客様のことを第一に考えること」だと強調した。

2 おすすめ3 新橋亭HP 料理

一押しの「フカヒレ姿煮」をはじめ、中国四大料理が味わえる

―新橋亭が愛され続ける理由―

現在まで新橋亭が歩んできた道のりは、決して平坦なものではなかったという。オイルショックやバブル崩壊、東日本大震災……。その都度、なんとか突破口を見つけうまく切り抜けてきた。しかし、今またコロナ禍という壁にぶち当たっている。宴会で利用するお客さんが多かったこともあり、新型コロナの流行による打撃は大きい。そこで、テイク・アウトとデリバリーの強化や感染予防体制を充実させた。こういった臨機応変な対応ができるのも、幾度もの荒波を乗り越え、長きにわたり店を守り続けてきたからではないか。呉さんは「明けない夜はない。コロナが収束した時に、元気よく皆さんと明るい日を迎えられたら」と力強く語る。
長い歴史と技術の高さを誇る新橋亭。多くの人々に愛され続ける理由は、料理に対する強いこだわりと美味しさへの探究心にあったのだ。

3 おすすめ2 建物

代々受け継がれていく新橋亭の玄関にて


4 集合写真1

学生との3ショット
  左:明石理英子さん(ライター)
中央:呉東富さん
  右:須藤夕結さん(カメラマン)


中国料理 新橋亭 (〒105-0004 東京都港区新橋2-4-2)