見出し画像

11/10 誰でもわかる日本語を使えるようになりたい

こんにちは!!

最近、陸上では冬季練習が始まりました。いつも鍛えられていない部位に刺激を加えているため、筋肉痛が止まりません。実際、私は走ってケツワレして歩けない感覚はすごい好きだし、ウエイトで重量のある物を持ち上げたときの自分の死にそうな顔はもっと好きです。特に、懸垂で7レップしようと決めたときにラストの一回上げたときのブッサイクな顔はたまりません。もっと体をいじめようって思います。でも、筋トレ後に飲むプロテインと、朝起きてから飲むプロテインが大っ嫌いです。料理は自分でおいしく調理できるけど、プロテインはどう試行錯誤しても結局あの不味さは変わりません。誰か、プロテインのおいしい飲み方、食べ方を教えてください。

みなさんも、嫌いだけど、我慢して食べているものありませんか。

どーも、吉本陸斗です。

いつもは、ゼミのプロジェクトに関した投稿しかしていませんが、今回は、最近実感した小さな気づきについてお話ししたいと思います。

ただの感想文

僕がnoteを始めたきっかけは、同じゼミのメンバーがnoteを書いていたから自分もまねて始めたのですが、最近気づいたことがありました。

それは、文章力のなさです。

陽斗や一平、佳樹の投稿を見ていると、文章の内容が自分のものとは大きく違いました。自分は、単にその体験で感じたこと、実際に起こった事実を単に記述するだけでした。しかし、彼ら三人は、事実の内容よりも、そのことから何を学んだか、その学んだことを次に生かすにはどうしたらいいか、次に行うべきことはなんなのかといった体験から得た経験をどうやって身に付けていこうか、とても明確に述べられています。

自分の書いたものは事実を述べているから、後々確認することができるということで有効ではありますが、これってnoteに書いて、人に見せる意味ないですよね。紙に書いてそれを後から見直すだけでいいわけです。あと、事実を述べるだけも他の人が言った言葉を自分なりに言語化しているわけだから、言い換えしかしていません。

人に見てもらうわけだから、事実よりも、そこで得た経験、その経験から自分はどう変わりたいかを書いた方が意味があると思います。事実を述べるのならば、もっと詳しい情報サイトを見れば済む話だけど、そこで得たものは人それぞれで異なり、それを今後どう生かしたいかも全く異なる答えになると思います。

時間を割いてみてもらうことを考えたら、もっと意味あるものを作る必要があるのかなって改めて実感しました。今後自分がどうなりたいかを書くことで、その経験は単に体験したものではなく、自分の成長のステップに必要なものとして捉えることができるから、次からは自分のためにも、見てくれる人のためにも意味のあるnoteを作ることをこころがけます。

日本語を学ぼう

人に見てもらうためには、正しい日本語を使う必要があります。

でも、自分は日本語で正しいに文章が全く書けません。高校でも、現代文が壊滅的で、一発で文章の意味を読みとることができませんでした。今も怪しいです。

正直、現代文なんて大学受験までしか使わないから、点数なんて低くていいやと思っていました。なので、本を読むという習慣がなかった私は、現代文で点数を取ることができなくなりました。

その結果、センター試験でも、英語や社会系は8割、苦手な数学に関しても7割は取れていましたが、国語の現代文に関しては、5割しか取れませんでした。もちろん第一志望の大学は受験できませんでしたし、前期で受けた大学も落ちてしまいました。

今思えば、どうしてもっと本を読まなかったのかな、もっと読めよと思います。でも、これは思っただけで、全く行動していませんでした。

それが今となっては、同期のメンバーのnoteを見るたびに、「読みやすい」と思います。

彼らに共通していることは、本を読む習慣があることです。

本を読んでいる人って、きれいな文章が書けるのかなって思いました。一発で理解できる文章を書くことができるのは、いつも本を読んでいて、その知識があるから似たような文章を書くことができるのだと思います。

佳樹と出会ったころにも本の紹介をされたことを覚えています。面識もそこまでない人に対して「この本読んでみ!」って言ってくる人って、今まで生きてきた中でいなかったので、かなり驚きました。結局その本は読まず、今に至っています。

あ~、どうしてあの時本を読んでいなかったんだろうと思います。本と出会うきっかけをくれた佳樹に対して申し訳ないです。もし、これをきっかけに本を読んでいたら、まだマシな文章が書けていたかもしれないと思うと、自分ってバカだなと思います。

父からもこんなことを言われたことがあります。本を読むことは教養が身につく以外にも、文章を書ける力がつくから、大学生のうちに本を読むように言われたことを思い出しました。父は読書が好きで、いつも出かける先々で本屋さんによっては立ち読みをしていました。しかし、自分は本屋さんにいるとおなかが痛くなるというか、あの本の香りが気分を悪くするため、正直本を実際に読むという機会は少なかったです。幼少期のころからこんな感じで、この症状は今もあります。もしかしたらこれがきっかけで本が苦手になったのかなとも思ったりします。

でも、こうして本と出会うきっかけはたくさんあったのに、触れようともせず、後回しにしたことで恥をかいているのは本当に馬鹿だとしか言いようがありません。

もっと知識があれば、いろんな人と話す話題も増えただろうし、関わり合う人も変わっていたかもしれない。もしもっと本を読んでいたら、現代文も点数がとれていきたかった大学に行けたかもしれない。また、恥をかかずにいれたかもしれない。

後悔ばかりです。

でも、ifの話ばかりしていても、未来は変えることができません。今後どう生まれ変わっていくかは自分次第だから、過去のことよりも未来のことを考えた行動がしたい。

新聞を読む

突然ですが、ここで宣言します。

私、吉本陸斗は、毎日、新聞を読み続けることを誓います。

本ではないのですが、今日から毎日新聞を読むことにします。自分は公務員志望なので、時事問題にも対策することもかねて、新聞を読みたいと思います。最近ニュースを見る機会も減ってきたので、もっと社会にも視野を広げ、知識を吸収したいなと考えています。

また、新聞を選んだ理由はもう一つあります。それは、短い文章でたくさんの情報量が含まれているからです。昔、朝日新聞さんの天声人語や、日本経済新聞の春秋で小論文の対策をしていた時に、「毎日決まった文字数で文章作るの凄いな」と思っていました。限られた枠内にたくさんの情報を組み込むことは、文章を書くことにおいて最も必要だと思います。自分は、無駄に文字数が多く、内容が薄い事が多々あります。この悪い癖を直すためにも、新聞を読んで、短く、わかり易い文章を作ることを学んでいきたいと思います。

こうした機会に自分の意思を言わないと、長続きしないなと思ったので、note内で宣言させていただきました。

終わりに

今回、自分が文章を書く力がない事に気づけてよかったと感じています。

社会に出る前に、卒業論文を書く前に、自分が恥をかかないためにも、文章を正しく書くことに今すべきことが分かったのは良かったです。

そのためにも、もっとnoteを書いて、いろんな人たちに記事を見てもらうことで、きれいな文章を書く意識を高めたいです。人に見られることで、正しい言葉を選ぼうとするし、きれいな日本語で文章を作ろうと思うから、見てる人にとっても、書いてる自分にとってもやさしいものになると思います。

一平からも、はじめはきれいな文章は書けなかったけど、慣れていくうちに自然といいものができるといわれたので、とにかく今は新聞を読んで、そこから学んだ知識をnoteに反映させたいです。こんな風にしていれば、きれいな日本語もできるし、結果的にゼミでいわれている言語化もうまくなるのかなと思っています。

とりあえず、今できることをコツコツを始めます。

陽斗と一平、佳樹、こうして自分が文章を読むようなきっかけを作ってくれてありがとう。はやく三人と同じ土俵に立てるように頑張ります!

最後まで読んでいただきありがとうございます。

またね~~~

吉本陸斗


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?