見出し画像

蓮舫を連呼した20日間~都知事選ひとり街宣回顧録

 2024年7月7日に行われた都知事選。私は勿論、蓮舫都知事候補を応援していた。
 まったく悔しいことに、午後8時の投票締め切りと共に現職都知事の3選が伝えられた。
 私は中野のボランティアセンターで開票見守り会に出席していたが、2分ほどで現実を受け入れることができた。2か月余り前、酒井なつみ衆議院議員の選挙の際に「ゼロ打ち」を勝者側で経験していたために、どんな現実も受け入れる準備ができていたのだ。敗戦確実が伝えられたあと、インターネットやテレビで出口調査を目にして、蓮舫さんが2位はおろか3位にとどまる見通しということに打ちひしがれた。しかし、これも現実だ。蓮舫さんがなぜ浸透できなかったのか、敗因は考えなければならないし、我々支持者にももっとできた事はあったのではないかと帰途の電車の中でぐるぐる考えたものである。

 しかし、今回の都知事選では従来の選挙ではなかった新しい形態の宣伝方法が登場した。

 ひとり街宣である。
 
 2022年6月の杉並区長選挙では、岸本聡子現区長の支援者が、区内各地で分散して「ひとり街宣」という形態で岸本さんを宣伝した。そしてその結果がわずか187票差での当選であった。ひとりひとりの草の根の力がものを言ったとして注目される選挙であった。
 その杉並区では、蓮舫さんが出馬表明したあとから、区内各地で再び「ひとり街宣」が行われていた。そして今度は、この手法で誕生した岸本区長が自ら「ひとり街宣」を行っていたのだ。この様子は東京新聞においても取り上げられている。

 私はこの宣伝手法に関して、「市民の政治参加」「草の根からの民主主義」という大きなロマンが文字通り詰まっていると憧れを抱いていた。しかし、私の居る北区内においては、今までそのような選挙に繋がる宣伝を盛んに行っているわけではない(デモ活動は割と頻繁に行われているが、選挙に直接結びついているわけではなさそうであった)。ひとりっきりで宣伝を行うことはハードルが高かった。

 そんな私の億劫な心を変えた出来事がふたつあった。
 まず、6月14日。この日は、東京の衆議院小選挙区30区の合同選対の蓮舫街頭宣伝とチラシ配りの「一斉アクション」の日であった。私も北区の一斉活動の駅に行ったのであるが、そこで目にした光景に愕然とした。
 駅の目の前は、地元の維新の会の都議候補予定者の宣伝のために占められており、我々は駅からしばらく離れたところで宣伝をしなくてはならなかったのである。しかも維新の会の宣伝は宣伝カーのスピーカーも使ってガンガンに音量を出しており、幟やプラスターもあちらこちらに置いている。地元区議やスタッフも出動して威勢よく宣伝を行っている。対して、我々と言えば、地元区議が穏やかな口調で話してはいるものの、宣伝の声が完全に維新に埋もれており、ボランティアの人たちも高齢化が著しい。話しかけてもなかなか反応しないし、朝早くに暑い中ビラ配りをするのも辛そうだ。幟はあるにはあるものの、維新の宣伝と比べると規模も小さい。北区は、東京12区という選挙区で、現職は公明と維新の議員がいるのだが、野党が完全に維新に押されてしまっているという屈辱的な光景を見せつけられた瞬間であった。ビラ配りをしていても、街の反応は冷たい。私は極めて悔しかった。無力感を覚えた。そして危機感を覚えた。
 その翌日、私はたまたま時間があり、市民運動が盛んな練馬の光が丘の街宣にお邪魔することにした。練馬は、2021年秋に山岸一生衆議院議員を送り出して以来、市民運動が盛り上がっており、現在も新9区の山岸議員の他、新28区の高松さとし総支部長や都議区議などが参加しており、政治家と市民のリレートークが行われていた。そして、僭越ながら私もマイクを握らせていただき、演説をした(演説の中では、光が丘の街路樹の豊かさから神宮外苑問題に切り込み、その他プロジェクションマッピングの問題や蓮舫さんが東京一筋で政治家をやって来たことをお話した)。その際に、「あら、北区からいらしたの、地元の市民運動とかはどうなっているの?」と組織の方からきかれたことで私の良心が刺激されたのだ。
 先の東京15区補選もしかり、練馬の市民運動への参加然り、地元を離れて政治活動に参加することが多かった。しかし、地元においてこれまで真面目に政治活動をすることは2023年春の統一地方選以外ではなかったのだ。地元では残念ながら立憲民主党も弱く、野党の現職議員がいない。私はもしかしたらその現実から目を背けて野党や市民運動が強く、充実感を得られるところに行って逃避していたのではないかという呵責が頭をもたげてきたのである。

 そんな背景があり、とうとう北区の各駅で「ひとり街宣」を始めることにした。誰かを待っていても始まらないと思ったのだ。区内でのポスティングは何度かしていたものの、活動実態が見えにくいうえ、それだけでは政策が一顧だにされないままビラが廃棄されることもざらにあるため、インプレッションの観点からは効率は良いとは必ずしも言えない。ホワイトボードに日替わりの「かわら版」で蓮舫さんの政策を各地域の課題に合わせてアピールしながら、告示前は蓮舫さんの顔の入ったビラを、告示後は確認団体ビラという蓮舫さんのシルエットの入ったビラを配布していた。ビラがない時には単なる挨拶と蓮舫の名前連呼をしたが、もっぱらビラ配りをしながら、蓮舫の名前を連呼した。

 というわけで、私なりの「ひとり街宣」のメソッドを以下に記したい。

➀6月18日に中野のサンプラザで配られた「あなたと次の東京へ」という公式が出したプラカードをそのまま身体の正面に提げていた(背中には、杉並区議会議員の赤坂たまよさんの支持者の作った「都政を変えよう都知事を代えよう」というボードを掲げて、「サンドウィッチマン」の形態をとった)。これにより、蓮舫陣営だと通行人に推定してもらう確率を高めた。
②公選法の規定で文書図画では蓮舫を掲示できないため、ホワイトボードに「かわら版」と題して、北区や立つ駅の地域性に合わせた課題提起、蓮舫の政策ならびに「R」マークを掲示し、蓮舫陣営のものとアピールした。
③単なるスタンディングではなく、「こんにちは(おはようございます/こんばんは)、都知事候補の蓮舫です」と呼び掛けてひたすらビラ配りをした。政策を長々と唱えることは公選法上はあまり推奨されないうえ、一瞬で通り過ぎてしまう通行客には何の宣伝かわからなくなる可能性が高いので、とにかく「蓮舫」という名前のインプレッションを増やすことに徹した。
④北区内JRとメトロ全駅を回ることにした。どんな小さな駅にも有権者はいる、をモットーに、特に反応の厳しい駅、野党の入り込めていないように見受けられる駅は複数回入ることとし、更に周辺に確認団体ビラを数百部ポスティングすることとした。また、スーパー前にも適宜立つようにした。もちろん、赤羽王子というターミナル駅は何回も入った。
⑤こちらからは一緒に立つ人員を積極的には募集せず、ひとりで「出たとこ勝負」に徹した。手伝いの方が来た場合には互いに離れた場所で宣伝することとした。
⑥休日は、「メトロキャラバン」「浮間赤羽キャラバン」とテーマを決めて区内を動くことにした。

➀について。まず、一見して「蓮舫さんの宣伝だな」ということを悟ってもらうためには、公式のプラカードが有効だ。中野の集会で陣営から配られたカードを再利用して蓮舫の伝道師となるのみだ。そして、サンドウィッチマン方式でプラカードは立てかけずに身体と結び付けて掲示することにより、「動く広告塔」となることが、スペースを最小限に出来るという観点からしても効果的である。

ひとり街宣の時に身に着けていたプラカード(フロント)。


②政策に関しては、口頭で訴える人もいたかもしれないが、よほど興味のある方以外は耳にしても何のことだかわからず下手をすれば「題目」を唱えているようにも勘違いされるかもしれない。したがって、期間中、取材が入った時を除いて政策を口頭で訴えることは避け、もっぱら口頭でしかできない「蓮舫候補の紹介」に徹した。
③政策に関しては、②の口頭での訴えは名前の連呼に絞った代わりに、興味のある方にご覧いただくためのホワイトボードをご用意し、「政策」を訴えた。例えば王子駅では飛鳥山公園が近くにあることを踏まえ、「緑地の保護」、浮間舟渡駅では荒川沿いの土地柄を踏まえ、「防災」、十条駅では再開発問題を踏まえ、「まちづくり」を主に訴えた。ビラ配りの際には場所によっては立てかけたり、片腕に抱えるなどで掲示を行った。

かわら版の一例。
地域ごとの課題にフォーカスして訴えました。


④6月17日から7月6日まで、途中1日を除いて19日間で立った駅と回数は以下の通りである(3回以上立った駅を太字化した)。朝駅頭は概ね8時台の1時間、休日ラリーは30分程度各駅に立つ方式を取った。

 赤羽駅(西口、東口、南口)6回
 北赤羽駅(浮間口、赤羽口)3回
 浮間舟渡駅 3回
 十条駅(西口、北口)3回
 板橋駅(滝野川口)1回
 赤羽岩淵駅 1回
 志茂駅 1回
 王子神谷駅 2回
 東十条駅(南口、北口)3回
 王子駅(北口、親水公園口)8回
 西ケ原駅 1回
 上中里駅 1回
 尾久駅 1回
 田端駅(北口デッキ)4回
 駒込駅東口 2回
 西巣鴨駅 1回

 振り返ると、結果的に3回以上立った駅がJR線上ばかりになってしまい、正直なところメトロの駅をもう1回2回回りたかったという思いはある。しかし、北区内(一部区界の駅も含む)の駅には全部立つことができ、地域ごとの反応を見ることができたのは収穫であった。
 ひとり街宣を行った方の中には、もっぱら最寄り駅やターミナル駅でしか行わなかった方もいらっしゃると思うし、実際にインプ稼ぎや移動の観点ではそれが効率的という側面はある。しかし、どんな小さな駅でも、掘り起しは出来る。是非、隅々まで回るという手法は参考にしていただきたい。
 このうち、印象的だったエピソードをいくつか。
 最北端の浮間舟渡駅。ここは立憲民主党の区議が入り込めていない地域であり、なかなかビラ配りに苦労した。しかし、「ご苦労様」という声をかけてもらえたし、最終日にはここでスタンディングをする仲間を目撃できた。
 北赤羽駅の浮間口。ここで2度も、「共産党の宣伝?」ときかれた。立憲民主党がまず全然入り込めておらず、野党と言えば共産党しかいないという状態になっている地域。今後も立憲のビラ配りに来る甲斐はありそうだ。しかし、ここで「ひとりでやってるの?ご苦労様。」「蓮舫さんに入れました」と声を掛けられた。
 赤羽駅西口では、年配の方から、「昔は活動をしていたけど今は動きにくくなってできないの。頑張ってね」と声を掛けられた。「小池さんもう歳だからね。蓮舫さんに働いてもらわないと」とも。最終日夜にスタンディング仲間を見つけたうえ、同年代のカップルから「ビラをください」と声掛けいただけた。
 赤羽駅東口では、最終日昼に最後のビラ配りをしたほか、その夜に「明日勝ちましょう」と同年代から声を掛けられた。
 十条駅西口は、朝の反応は厳しかったが、昼はかなり注目してもらえた。中には「ご苦労様」とアクエリアスの差し入れを下さる方もいた。
  志茂駅では、青山学院大学で蓮舫さんの先輩と言う方が話しかけてくださり、「ありがとう」と受け取ってくださった。
 王子駅親水公園口で夜のビラ配りをしている時に、「ご苦労様」と言いながら受け取ってくださる方がいた。
 駅頭ではないが、サミット王子桜田店において「私この人に入れる」「ご苦労様」と声を掛けられた他、王子神谷駅で知り合いにばったり出くわし、「よろしく」とビラを渡したこともあった。王子神谷駅の近くにはスーパーがあり、休日の駅頭をその開店時間に合わせたところ、買い物客の反応が非常に良かった。
 西ヶ原駅でビラ配りをしていた時に小さなお子さま連れの方にビラを受け取っていただけた。
 上中里駅は、通行量が少なかったが、「かわら版」を見てチラシを受け取ってくださる方がいた。
 田端駅は、私が今回特に力を入れた地域。自民党の都議候補(前区議で元区議会議長)の地盤であり、維新の現職衆議院議員の地元でもある。他方、立憲の区議を一度も輩出していない保守地盤だ。朝9時を境にビラの受け取りがボタンが変わったようによくなる。最終日に「ひとり街宣したいが勇気がなかった」という方と一緒に街宣した。高架下で「かわら版」を立てかけやすく、見ていただきやすかったしビラ配りもしやすかった。
 尾久駅は、区界であまり野党が来ない地域なのか、「待ってたよ」という空気を感じたし反応も良かった。
 また、浮間舟渡、田端や十条、王子本町など区議の居ないエリアを中心にポスティングも行った。街宣の反応を見て、厳しそうな地域に優先的に配布した。
 時に、なかなかビラの受け取りがなく、焦ったり心が折れそうになったこともある。しかし、見てくださっている方はいらっしゃるし、受け取ってくださった方のことを思えば、へこたれてなどいられない。1部でいい。受け取ってくださった方がいらっしゃれば、その日そこに立った意義がある。0部でも泣きながら出直せばいい。そのメンタリティでやり遂げることができた(幸い、全部の駅でビラを受け取っていただけた)。

駅頭でのビラ配りの様子。


 ⑤について。地元の方や埼玉から来た方、偶然出くわした仲間と立つことはあったが、基本的に他の方や市民連合と示し合わせて立つことはしなかった。なるべく分散して隅々まで立つことを優先した。
 ⑥について。休日は歩き移動や電車移動を挟んでラリー形式で駅頭を行った。例えば、メトロで言えば、赤羽岩淵を起点に、志茂→王子神谷→王子→西ヶ原→駒込と南下するルート、浮間キャラバンで言えば、浮間舟渡→北赤羽浮間口→北赤羽赤羽口と南下するルートとたどった。テーマを決めて、周り切れない駅を潰す方式を取った。

 以上のノウハウで、幟プラスターはなしにチラシ配りと蓮舫の連呼を中心に訴えた結果、200人以上の方に直接蓮舫の政策ビラをお渡しできたうえ、励ましの言葉も何度もいただいた。しかし、その反面蓮舫陣営かどうかわかりにくかった向きもあるようで、これは期間中の公選法の縛りを感じるものであった。むしろ、告示前の名前出し放題の時期から名前を売り込む必要性があるとも感じた。この点で、始動が遅かったことが悔やまれる。もう少し早くから動き出せていれば、細かい駅をもう1回回れただろうし、渡せたビラの数も多かっただろう。

 なお、番外編としては、奥多摩でスタンディングとポスティングを行ったということもあった。小池百合子氏が島嶼部以外では初めて演説を行った地だけに負けてはいられないと入ったが、結果は石丸氏より13票蓮舫氏が多く票を獲得しており、入った甲斐はあったものと信じたい。

スタンディングした奥多摩の交差点。何台かから手を振り返していただいた。

 さて、19日間スタンディングした結果はどうであっただろうか。
 東京全体の結果は以下の通りである。
 

東京都全体の得票数、パーセンテージ。蓮舫候補は18.8%であった。それでも128万人が投票してくださった。ありがたい限り。

 結果は完敗というに尽きる。現職はおろか、石丸氏の後塵も拝した。この事実は重く受け止めねばならない。細かな反省事項はこの「ひとり街宣」の話題からは逸れるため、ここでは触れない。
 続いて私が「ひとり街宣」して回った北区の開票状況である。

蓮舫氏の得票率は18.4%。ほぼ全都の得票率ほどである。23区すべてで石丸氏に先行を許したが、得票率の差では、北区が2.3%と最も石丸氏との差が小さかった。

 こちらも完敗である。もともと公明党選挙区であった土地柄、また自民党も強い土地柄、苦戦は必至であった。それでも、石丸氏の後塵を拝した23区内で最も石丸氏との得票率の差が小さかった(2.3%、次いで中野区の3.1%、文京区の3.3%、杉並区の3.6%)。つまり、23区内では小池氏への批判票をそれなりに蓮舫氏に引き寄せることができた方だと言っていいであろう。正直なところ、蓮舫氏本隊が入らなかった中でこれは御の字と言っていい。要因としては、王子赤羽という「ターミナル駅」に偏らず、浮間舟渡や北赤羽、十条、東十条、田端に3回入る、細かい駅も必ず1回回るなど「隅から隅まで」を徹底して回るどぶ板戦術が無党派の掘り起こしなどで一定の効果を出したということだと思う。おそらく、19日間行った中で私のインプレッションは優に万単位にはのぼるだろう。このインプレッションで引き寄せられた票はあったものと信じたい。他方でもっと早くから回っていればより多くの浮動票をつかめた可能性があるとも思う。地元を見捨てていたという罪深さを今、痛感している。

 まだまだ「あすなろ」ではあるが、私の始めたひとり街宣はある程度のノウハウ、メソッドを確立した。名前を口頭で連呼し、政策を文字で伝える。地域に合わせて課題を提示する。回る地域はターミナル駅を軸にしつつも、普段市民運動や政治家が入り込んでいないような地域、交通量の少ない地域、保守地盤と言われる地域にも「駅あるところに有権者あり」の精神で積極的に入り込む。これを、次期衆議院選に向けた立憲民主党比例票掘り起こしのための「ひとり街宣」に還元しようと思う。やはり街のいたるところに立ちインプレッションを稼ぐことは最も効果的な手法なのである。今回ダメだったくらいでしおれてはだめだ。たった3週間やったくらいですべてが覆せるわけがない。相手は2期8年の業界団体を抑えている大物だ。自民党もそうだ。70年地域に根差している。ひっくり返すのは容易ではない。だがいつチャンスが来るかはわからない。先の東京15区のように、たちどころにひっくり返すことだってありうる。その時のために、種をまき続けよう。今でも、チラシを受け取ってくださった方たちのことが浮かぶ。激励をくださった方のことが浮かぶ。まだ芽が出ないからと言って荒れ地にするわけにはいかない。いつかできるから今日できると信じて。前を向いて、駅頭に立つ。今回はここまで。しかし、3週間の中で成果も確実に出てきている。その成果を糧に、草の根からの民主主義に、より一層磨きをかけて参る所存である。

(終わり)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?