大丈夫になりたい

掲題のこのフレーズ、日経新聞電子版のコピーになっていて、消費者の不安を煽る広告として問題視されてたのはもう半年以上前くらいのことだ。
それくらい、このコピーが人を惹きつけるその理由が分かる気がする。

私は今自分の心を安定させる土台にいくつも穴が開いていて脆いから、それらを埋める何かが欲しい。いつも自分が不完全である気がしてならなくて落ち着かないのだ。

大丈夫になるためには、仕事に関する知識も絶えず習得しなければ、きちんと節約をして貯金をしなければ、身の回りを整理整頓して整えなければ、うまく自分の感情をフラットに保たなければ、もっと率直な意見が言えるようにコミュニケーション力を鍛えなければ、自分で自分のことをいつもご機嫌にしなければ。そんなやるべきことがいくつも頭に浮かぶ。

でも今何か行動を起こせばすぐに全て解決するものでもないし、それらを実現するためにどうすればよいのかわからないし、そもそもそのために行動するやる気もないし、焦りだけが独走してぶっちぎりでゴールテープを切ってしまいそう。いやゴールテープすらないんだ本当は、終わりのないレースに立たされているのだ。

私みたいに無数の「だいじょばない」事項を抱えていなくとも、人は何かしら不安を感じている事案と対峙しているものだと思う。つまり、人は心のどこかでは大丈夫になりたいのだ。それに加えて、若ければ若いほど、「だいじょばない」現状に対しての対処法や悟りみたいなものを得られていないから、より大丈夫になりたいと感じる。
だからこのコピーは、人々の、もっといえばターゲットである新卒の社会人くらいの年齢の人に訴求するのだ。

大丈夫になりたい、と思うかどうかには、個人の性格とか自意識も多分に影響していると思う。
自信のある人、楽天的な人、レジリエンスの高い人等々はそこまで「大丈夫になりたい」と思わないかもしれない。すでに現状が「大丈夫」と感じているかもしれないし、だいじょばなかったとしても、それを受け入れることができるからではないか。

私は途方に暮れてしまうくらいの完璧主義で、かなり親しい間柄だったとしても、失敗したりうまくできなかったりしているところを他人に見られたくない。自分の現状は認められないけれどプライドは無駄に高いから、いつも他人の前では大丈夫でいたいのだ。そんなの現実的に不可能なのにね。

目下のところ、明日の仕事に向けて、大丈夫でいられるかが不安で仕方なくなって、筆を取った。

大丈夫になりたい、というのは呪いだ。
考え方を変えない限り付きまとう。

でもその呪いを解いてあげられるのもきっと自分しかいないから、大丈夫だし、だいじょばなくても大丈夫だよ、と、呪いを解くように自分に言い聞かせる。

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