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経過観察(2)

 大雨が止み、また暑い日が続いていますね。11時ごろにのそのそと起きてきてこれを書いています。まだ水を飲むしかしていないのでかなりお腹が空いています。先日帰省し、初盆の法要をしてきました。帰省。かなり迷ったけど、どうしても帰りたかったし兄の誕生日に両親を両親だけにしておくこともできなかった。結果として、私、両親、祖父母、誰もコロナにかからずひっそりと街のお寺で抱擁をすることができました。実際私は帰省までほとんど徹底的に外出していなかったし、もちろん飲み会もしていなかったのでできたことだと思います。

 法要をしたからといって、兄に対する気持ちに何か変化があったかと言われればないですが、少なくとも「大変な状況の中でどうにか初盆をやれた」という安心感にはなりました。母だけが法要の最中ずっと泣いていました。祖父母が早く墓を建てろとうるさい。多分昔の人の考えで、亡くなる=墓を建てる、という方程式しか頭の中にないからです。それは仕方がない。両親は自分たちが納得いくまで、というか、自分たちが死ぬまで兄の遺骨をそばに置いておきたいそうです。私もそれが良いと思っている。いくらお寺の敷地内と言えど、墓石の中に骨を入れるのは、暑いし、寒いし、雨にも雪にもさらされるし、寂しすぎるのでは。

 先日また夢に兄が出てきました。多分、月に一度か二度の頻度ですね。経過観察(1)を書いたときも夢の話をしてしまったような気がします。他人の夢の話なんて、一番興味がないですよね。しかし、兄に会える手段がもうそれしかないのでご容赦ください。兄が自殺を未遂するという夢でした。滅多に揃わないうちの家族が集まってはいましたが、兄は不機嫌でした。家族は腫れ物を見るようで目で兄を見ていた。お葬式のときやなんかに、生きているだけでよかったのに、なんて口々に言ったけれど、兄がもし自死をしなかった場合私の家族は家族としての正解を出せていたかというと多分無理だったのだろうと思います。事実として、帰省すると両親の穏やかさに驚かされるときがある。兄がいた頃は、兄の不安定な一挙一動を両親が注意深く見守るといった感じで緊張の糸がリビングに張り巡らされていました。だから両親はよく対立していたし、私ももっと気を遣って会話していた気がする。ただ、兄がいなくなって良かったという話ではありません。いた方が良かったよ。自死の悲しみや後悔にこの先死ぬまで悩まされることを考えれば、生きていてくれた方が何倍も、世の中に信じられることが多かった。

 兄のこと、兄の姿や言葉、私に与えてくれたもののことなどを思い出して泣く時間は少しずつ減ってきています。寂しさは、両親は感じていると思うけど私にはあまりない。私が16歳のときから別々で暮らしているからそれはある程度当たり前のことだと思う。でも、自死遺族として傷を抱え歩いていくこの先の道をことを思うと、あまりにも不安で、あまりにも孤独で、簡単に涙が出てしまう。つまり、兄のことを純粋に考えても涙はもうあまり出ないけど、私の人生の実際の問題のことを考えるとすぐに涙が出てきてしまう。すごく現金で、姑息だなと思う。自分のことを。とはいっても仕方がない。私の人生の実際の問題のことは私が一番心配しなきゃいけないもの。今回の経過観察はここまでとします。コロナにかからないように過ごしましょう。

 

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