電脳チラ裏/誤解していた不得意分野

電脳チラ裏シリーズ第二弾。
今日は苦手分野を勘違いしていた可能性に気付いた話をしよう。

度々語っているが、小説を書くのが苦手である。
それはそれは苦手で、どれくらい苦手かというと「小説」マガジンに収録している作品4本のうちに真っ当な小説と呼べるものが1本しかないくらい苦手である。noteを始めて4ヵ月を要した。

何が苦手なのか。端的に言えば心情描写である。
登場人物の感情や表現のしかたをうまく想像できない。
登場人物のいない作品であれば融通が利くのかもしれないが、残念ながらそれは小説ではなく詩やドキュメンタリーと呼ばれる分野であろう。
彼(女)らが何を考えてどう行動に移すのか、微塵も想像がつかない。
今まで書いた作品は心情描写を極限まで排することでギリギリ成立させているような有様である。そのため登場人物の動きが極めて小さい。
現状のやり方では長編はおろか短編を書き上げることすら難しいだろう。
※今まで書いた作品はいずれも「超ショートショート」と呼ばれるレベルの分量である。

なぜ苦手なのか。それは自分が理屈っぽくて感情に寄り添うのが苦手だからだろうか。
感情と理性はしばしば対比される概念である。感情的な行動は時に理性や論理とはかけ離れた振る舞いになり、理解の及ばないものになるため、さもありなんというところか。

確かに自分のnoteを振り返ると評論系の記事の方がスムーズに書けている気がする。ロジックで固めた執筆の方が向いているのだろうか。



・・・・・・そう思っていた。
しかし、それは違うのではないかと思ってしまった。

何が違うのか。私は前提部分を疑っている。

それは自分が理屈っぽくて感情に寄り添うのが苦手だからだろうか。

ここの仮定が間違っている気がする。
というか、逆なのではなかろうか。
すなわち、

✗感情を読むのが苦手だから心情描写書けない
○論理立てて考えるのが苦手だから心情描写書けない


なのではないかと思うのである。以下、前提の反証。

感情的な行動は時に理性や論理とはかけ離れた振る舞いになり、理解の及ばないものになるため、さもありなんというところか。

いささか極端すぎる。確かにこのような振る舞いもあるにはあるだろうが、その状態はかなりの極限状態ではないか。
人間が社会性の高い動物である以上、基本的に行動の論理性は一定以上担保されていると考ええるべきだろう。

確かに自分のnoteを振り返ると評論系の記事の方がスムーズに書けている気がする。

小説1本に対して評論系の記事が3本ということでこれは正しそうに見える。
しかしながら一番多いジャンルは日記系の記事である。その数8本。
この分野の記事の大半は文をこねくり回しながら辛いつらいとわめいているだけである。これを感情でしたためた文章といわずして何なのか。
質の悪いことに、いくつかの記事には「理屈が通ってないかも」などと予防線を張っている。これのどこが「ロジックで固めた執筆」なのだろうか。噴飯ものである。

ということで感情丸出しの文章は書けるのに心情描写は書けないと言っていることが分かった。むしろ理屈立てて考えたり組み立てるのに慣れていないことまで明らかになり、そりゃあ書けるわけないわなという結論まで見えてきた。

ちなみにここで語るつもりはないが、日常生活においても論理的に考えられず感情的に生きていることで弊害を被っていることに心当たりがあったりする。そういうところだよ。

さて、どうしよう。
特に困らないのであれば放置でも問題ないのだが、諸事情あり少々小説を書けるようになりたいと思っていたところである。問題しかない。

前提スキルとしての論理的思考が不十分な以上、その上の心情描写を伸ばすのは困難であると考えるのが自然であろう。
地道にロジカルシンキングについて鍛えていくためにも、もう少し評論系の記事を書いていくことにしよう。その上で小説も書いていけばそれなりには伸びていくはずである。経験値を稼ぐこと、できることの幅だしをすることは何よりも重要であろう。
石の上にも三年。継続は力なり。一年後にどうなっているかが楽しみである。






ところで、論理的思考力が足りないから感情描写ができないって本当ですか?


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