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箱根駅伝までの軌跡~大学下級生編~

プロローグ

皆さんこんにちは。
ということで、前回の続きを綴っていきたいと思います。
前回は高校まで編という投稿をしましたが、まだそちらをご覧になっていない方は下記にリンクを貼り付けておくので、そちらをご覧になってから今回の記事を拝読するようにお願いします。

👆前回の記事はこちらから開けます。

今回はついに大学編です。
今まで言えなかった想いを初告白することになるかも?しれません。

ということで本題へ。

運命を変える出会い

今回は運命を変える出来事ではなく、運命を変える出会いです。
その出会いとは榎木和貴監督との出会いです。
引退した後に榎木さんのことはみっちり執筆する予定なので、ここではあまり長々と綴りませんが…

榎木さんと出会わなかったら今の私は居ないと断言出来ます。

では何故そこまで運命的な話かと言うと、元々榎木さんは創価大学の監督では無かったからです。
私が瀬上総監督から勧誘をされたときは、瀬上さんが監督で榎木さんはまだ創価大学の関係者ですらありませんでした。

2019年2月1日。
私の18歳の誕生日の日にTwitterを見ていたら創価大学に榎木和貴が就任というツイートを記事で見てそこで初めて監督が変わるということを知りました。笑

そして2019年3月8日に入寮をして、次の日の朝練習で初めて榎木さんと顔合わせをしました。
第一印象は大人しく誠実な人だなと思いました。
ただこの頃は箱根駅伝予選会15位のチーム。
まさか箱根駅伝優勝を目指すチームにまで成長するなんて正直1mmも思ってませんでした。笑

そんな今後の運命を変える出会いと共に私の大学生生活が幕を開けました。

当時の新入生歓迎会の写真。
みんな顔が膨れ上がってるのは気のせいでしょうか…

思い描いた理想と厳しい現実

思い描いた理想と厳しい現実。

高校生の頃は後輩を背中で引っ張る走りを常にしていて、今思えば自分に自信を持った走りをしていました。
大学でも1年生から積極的に走る。
そのように決めて、入寮早々先輩に練習から食らいつく走りをしていました。

しかしそんな簡単に思い通りには行かず、大学の練習の量の多さと質の高さを思い知ることになります。
朝から10km以上は確実に走り、ポイント練習の距離と設定ペースも高校とは比にならない。
その結果、大学1年生の5月にはキャパオーバーになってしまい、練習がこなせなかったり試合で走れなかったり、終いには疲労骨折をしてしまいます。

高校の頃は練習をこなせないことや故障ということがほとんど無く、こんなにも自分は脆いのか痛感しました。
そのうえで同期の1年生レースで結果を残す姿を目の当たりにして、少しずつ自分に自信が無くなっていきます。

1年生の頃は5000mでは14分台を出せず、10000mでは30′33という結果に終わり、自分が思い描いていた理想とは程遠く、大学1年生は呆気なく幕を閉じました。

ここまで苦しむとは思ってもいなかったので、今後大丈夫なのかなという不安も稀によぎっていました。

大学1年生の頃の春のレース。

マネージャーという選択肢

大学2年生になり新入生も入ってきましたが、4月から新型コロナウイルの感染拡大による影響で4.5.6月と地元に帰省することになります。
この頃は記録会も開催されることもなく先が見えない戦いになり、モチベーション自体も中々上がらないという負の連鎖が続きます。

6月に帰寮し本格的にチームでの練習が再開され、さぁここからという気持ちで臨んだ2年目の夏合宿。
2次合宿まで順調でしたが、2次合宿終了後にまたしても疲労骨折をしてしまいます。
しかも箇所が悪く全治に2ヶ月弱かかり、記録会が開催され始めた9.10.11月と走れない日々が続きました。
やっとの気持ちで12月に復帰し、年内最後のレースの5000mを走るも14′45というパッとしない記録で終えて2年目も納得する結果を残すことが出来ませんでした。

その後に第97回箱根駅伝で創価大学は往路優勝、総合準優勝という結果を収めて注目度が一気に上がりました

チームの一員として結果に携われたことは凄く嬉しかったですが、一緒に生活している先輩同期がテレビの前で走る姿を目の当たりにし自分も走りたいと思う反面、今のままでは全く手の届かない世界だなという若干の諦めの気持ちもありました。

特に下記の写真のように当時7区を区間2位で駆け抜けた原富慶季さん(4年)給水をし、初めて箱根路を100m程走ったのですがスピードが速すぎて置いて行かれそうになり、必死に追いついたのを鮮明に覚えています。

給水をして箱根路を少し走れたのは嬉しかったですが、このスピード感で21km走らないとメンバーには入れないという現実も突き付けられた瞬間でもありました。

もしかしたら選手で走り続けるよりもサポートに回りマネージャーをした方が自分の立場的にもチームの為にも良いのかな…

というような思考がよぎるようにもなりました。

原富さんの給水をした写真
本当に速すぎて着いていくのに精一杯でした。
引用:4yearsさんより

初めて組一着を掴んだレース

そんな伸び悩んでいた私にもとうとう転機が訪れます。
箱根駅伝を終え成人式に出席しました。
地元の友達に沢山のエールを貰い、再度気持ちを入れて帰寮してきました。

2年生の秋以降の怪我をしていた期間は、補強トレーニングバイクトレーニングに時間を費やしました。
その成果を1.2月で徐々に感じ始めて、今まで感じたことのない感覚を掴むようになります。
具体的には前までよりも走りに推進力を感じ、力を入れなくてもスピードを出せるような感覚です。
この良い感覚をジョグ、集団走、ペース走、インターバルとスピードが上がるに連れて自分の理想の形にしていき調子自体も絶好調になります。

その状態をキープし、2021年2月28日に10000mの記録会に出場します。
榎木さんからは順調にいけば29'30は出せると言われていて、今までの自己ベストが30'30ぐらいだったので1分も更新できるのかなと思っていたのが当時の心境でした。

スタートしてから練習通りに走れていつも以上に身体が動く感覚がし、集中力も研ぎ澄まされていました。
9000mまでは本当に一切きつくなくラスト1000mで後ろを引き離し、組一着の大幅自己ベストでゴールすることが出来ました。 

という記事を執筆していたことを思い出したので一応貼り付けておきます。

👆当時の記録会の記事

この記録は当時のチームの中でTOP10には入っていて、一気にチームの上位まで食い込むことができました。
この記録を叩きだしたことにより自分の埋もれていた可能性を引き出せて、まだまだ上を目指せるんだと自分に自信を持つようになる大きなきっかけになりました。

ちなみにこの話は後からチラッと聞いた話ですが、この記録会でもし記録を残せていなかったら恐らくマネージャー側に回っていた可能性があると聞いたことがあり、まさに四面楚歌の状態で結果を残すことができました。

ある意味ここから自分自身の陸上人生ががらりと変わる転機になり、勢いに乗ったまま3年生に突入していきます。

エピローグ

ということで以上で終えたいと思います。
今回は2年生までの内容で終えましたが、総括してみるとやはり大学と高校では全く別物だなと改めて感じたのが正直な感想です。

環境に関しても高校のときは実家から通っていたので寮生活は初めての経験でした。
入寮したての頃は慣れないことばかりでストレスを感じやすいことが多く、そのうえで競技レベルも一気に上がるため決して楽な生活ではありませんでした。

それでもこれほど競技に集中して打ち込める環境も他にないので、慣れてこれば一気に成長することができると思います。
ということで大学の進路に迷った際はある程度の実力があれば、関東の大学に進学することオススメします。

次回は上級生編です。

今回も読んでいただきありがとうございました!

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