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パレードが終わっても。

はじめまして。リキオといいます。

Twitter始めたついでに、noteも始めてみました。

東京レインボープライドが、リアル・イベントとしては中止になって、かわりにオンラインでの #おうちでプライド となったわけですが、いい盛り上がりでしたね。

オンラインだから参加できた、という人も多かったと思うし、ぼくもそのひとりなので、今後も、オンラインイベントは続けてほしいような気が。

リアルなイベントとしてのレインボープライドは、もう10年以上もまえに、数回、参加したことがあります。正確に何年前だったかもう思い出せませんが、東京のほかは、札幌で始まったばかり、という頃で、今とは体制も異なり、そもそもレズビアン&ゲイ・パレードとまだ言っていた頃だったと思います。

今回、こんな話を見かけました。

ぼくには当日であっても手をつなぐ人はいなかったわけですが、それはともかく(笑)。

今でも、こういう人は多いのだと思うし、以前はもっとたくさんいた。パレードは結局のところ、お祭りであって、非日常。ハレの日が終われば、いつもの日常にぼくらは帰っていく。

ぼくが10年以上前のあの日、東京の大通りを歩けたのは、そこがふだん住んでいる街ではなかったからで、イベントが終われば、普通に出社して、ゴールデンウィークどうだった?と聞かれても、うちでのんびり過ごしました~とか言っていたのです。

パレードは素敵なイベントだけど、あの、自分が肯定されている感覚、ぼくらのありようが許され、祝福されているあの日を、年に一度だけのお祭りの日にしておくべきでは、ないのだと思います。

もっとも、人とは多面的なもので、人生にはいろいろな場があります。誰しも多かれ少なかれチャンネルを切り替えながら暮らしていくものだから、パレードが終わったら、LGBTだなんだってところは一切関係のない場に身を置くことも、それ自体は悪いことではないでしょう。

ただ、パレードのような場以外では、本当の自分を殺していなきゃいけない、それはとても息苦しい――そう思う人が、少なくなればいいなと思います。

ぼくは自他ともに認める自己肯定の化身なのですが、そんなぼくでさえ、パレードの一日と、その次の日のギャップには戸惑いがあったのですから。

TRP2020のネット上の喧騒を見ながら、そんなことを思いました。

これからも、ときどき、ふと思ったことをnoteに書いていきたいと思います。よければ、Twitterともども、フォローいただけると嬉しいです。

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