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劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト完全初見感想

〈美少女コンテンツ発の『実験映画』〉

先日、新宿バルト9にて『劇場版 少女⭐︎歌劇レヴュースタァライト』を観た。まず最初にことわっておきたいのだが、僕はこのコンテンツにおいて一切何も知らない。ソシャゲを軸としたメディアミックス作品であるということをおぼろげに知っている程度で、当然TVシリーズも一切チェックしていないし、キャラクターの名前さえわからないまま鑑賞したのだ。“SNSでやたらと盛り上がっているから”という理由だけで。


といっても、この鑑賞作法はそれほどストレンヂなものではないだろう。『ガールズ&パンツァー』や『若おかみは小学生』、『リズと青い鳥』など、何も知らない観客を召喚したことによって記録的なヒットを生み出した劇場版アニメというのは幾らでもある。これらのヒットの裏側には“SNSでやたらと盛り上がった”という共通の事象が存在する。


ただ単にハイ・クオリティというだけでは、SNSでの熱狂は生まれ得ない。『これについて何かひとこと言わなくてはならない』と観客に思わせる、コメント誘発性の高いコンテンツがSNSでの熱狂を生むのである。僕はそのSNSの熱狂にあてられ、一切何も知らないまま本作を鑑賞したのだ。


結論から申し述べると、これは実験映画だと思った。全体的なストーリーラインとしては『宝塚をモデルとした歌劇学校に通う女子生徒たちが、それぞれの夢や目標に向かって奮闘する』という王道きわまる青春映画なのだが、演出があまりにもぶっ飛ばしまくっている。

いくつか例を挙げると、『清水寺の舞台にデコトラが大量に停まっており、その上で斧と薙刀を持った美少女が格闘する』シーンや、『砂漠のど真ん中に東京タワーが鎮座していて、そこに美少女が乗った電車が走っていく』シーンや『野菜でできたキリンが東京タワーで爆死する』シーンなどがあるのだ。

未見の方からすれば“何それ?”と思うだろうが、本当にそうなのだから仕方ない。

この映画の内容について語ろうとすると、まるで薬物中毒者が自身の見た幻覚を説明するごときになってしまう。これはまさしく実験映画だけが持つ特性だ。

恐るべきことに、この映画はほぼそういうシーンのみで二時間を走りきるのである。

そしてさらに恐るべきことに、ものすごく感動する。

徹頭徹尾わけがわからないにもかかわらず、映像と音響があまりにすさまじいので感動させられてしまうのである。上映終了後、隣にいた男性客が『どういうこと?』としきりに首をひねっていたが、この強烈な演出はすべて『心象風景』なのだと思う。

『このぐらいのテンションで歌劇に取り組んでいる』みたいなことなのだ。おそらく。

死ぬほどヤバい。とか、殺す気で挑む。という表現があるが、その感情の昂りを映像に落とし込んでいるのである。死ぬほどヤバいときは本当に死ぬし、殺す気で挑んでいるので本当に殺す。

メタファーといえばわかりやすいと思うが、これはむしろカリカチュア、もしくはディストーションに属するものである。愛や憎しみや自己嫌悪といった青春期の情動にエフェクターをかけてフルテンで鳴らしたような格好だ。ジミ・ヘンドリックスが戦前ブルーズを拡大解釈した結果、爆音のノイズに辿り着いたのに近い。オタク用語で“クソデカ感情”というのがあるが、本作ほどこの表現がふさわしい作品はないだろう。砂漠を突き進む電車や、爆発する東京タワーなどはすべて少女たちの心象風景であり、感情そのものなのだ。

こうしたケレンみ溢れる演出や、“ワイルドスクリーンバロック”などの独自のワードによって作品世界を律し駆動させている点は、『ウテナ』や『ピングドラム』などの幾原邦彦作品を想起させるが、調べたところによると監督は幾原邦彦の直弟子であり、『ユリ熊嵐』では副監督も務めているという。納得である。納得しかない。しかし、実際に構造だけを抜き出すと一番似ている作品は'80年のミュージカル映画『オール・ザット・ジャズ』である。メタ的構造もそうだし、驚くほどレヴェルの高い音楽や脚本が核融合反応を起こしているというところもよく似ている。

ほかに特筆すべき点を挙げると、本作はいわゆる美少女コンテンツにありがちなサーヴィス・シーンが存在しない。

美少女コンテンツというのは大体、茶番めいたギャグ・シークエンスがあったり、美少女がイチャイチャしたりするサーヴィス・シーンがあるものだが、それらは本作には一切登場しない。

このあたりは『ゆるキャン△』のストイシズムに近いものがある。

『ゆるキャン△』のプロデューサー・堀田将市は制作にあたり、“相手を褒めるときにカワイイと言わせない”、“むやみに抱き合ったりしない”という二つのルールを課したそうだが、そうしたクリシェとしての萌えを一切排除し、糖度を抑えるというストイシズムを、本作もまた踏襲している。

説明を削ぎ落とした脚本にもそのストイシズムが現れており、現代詩のようなセリフを応酬するさまは吉田喜重の作品を彷彿とさせる。高倉健の任侠映画や『トラック野郎』シリーズに対するオマージュなどもあるが、ウィンク程度にとどめており全体的にとにかく品が良い。

音響もすばらしい。これはよく言われることだが、邦画は基本的に音が悪い。バランスやヴォリュームがちぐはぐだし、音響そのものに対する実験精神も低い。例外なのがアニメ作品で、とくにここ5〜6年ぐらいの劇場版アニメの音響のすごさは目を見張るものがある。『ガールズ&パンツァー劇場版』のこだわり抜いた爆音はクリストファー・ノーランの『ダンケルク』に2年先駆けていたし、『リズと青い鳥』や『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のきめ細やかな音響などは圧倒的である。

本作もまた音響的実験に果敢に挑戦しているが、その非常に攻めた音作りによって鳴らされるのが、ものすごくクオリティの高い歌謡ファンクやサイケデリック・ロック、ダブ処理が施されたエレクトロだったりするのでもう最高である。

最後に、これはミュージカルではない。歌劇なのだ。

ミュージカルは物語の中に歌が存在するが、歌劇は歌の中に物語が存在する。折口信夫の言葉に『歌というのは感情を相手にくっつける行為だ』というのがあるが、本作はその言葉がよく当てはまる。少女たちは感情を武器に互いを殺し合い、そして言葉の力によって互いを蘇生させるのである。

本稿を読んだ皆様もクソデカ感情をぶっつけられまくって、大いに疲弊し、大いに感動してほしい。

こんな攻めたツクリの映画に対してベッタベタの定番フレーズで終わって申し訳ないが、これはぜひ、映画館のスクリーンで観るべき作品だ。


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