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FESTIVAL de FRUE 2022によせて

 音楽が好きなので、暇にあかせてライヴハウスやクラブへ踊りに行ったり、あるいは自室で音楽を聴きながらほたえ騒いだりして暮らしているわけだが、そんな生活を十数年も続けていると、『もうここで死んだってかまわない』と心底本気で思うほどの、突き上げるようなすさまじい感動をともなう音楽体験にときたま出くわす。すべての音が細胞のひとつびとつまで染み渡り共鳴を起こすような、ある種スピリチュアル的ともいえるこうした体験は当然めったにあるものではないし、長続きするものでもない。

 しかし先日、わたしはFRUEという野外フェスティヴァルにおいて、その法悦にも近い恍惚を幾度となく味わいつづけたのである。友人のthe hatchというバンドが出演するとのことで、気心の知れた仲間たちと連れ立って出かけたこのフェスは、誇張ではなく、わたしの人生においてもっとも幸福で満ち足りた二日間となった。

 絢爛きわまる出演陣のパフォーマンスのみならず、開催期間中、会場を満たしていた空気そのものがほんとうにすてきだった。あのとき、あすこに集まった誰もが自主性をもち、単なる社会構成員ではなく、音楽を愛し尊敬する一個人として参加していた。あらゆるスペースやサムシングを譲り合い、よろこびを分かち合おうとする共有の精神、高い肯定的なエネルギーのやり取りがおこなわれていた。いちばん当てはまる単語はおそらく“自由”だ。自由とは野放図に好き勝手することではない。自らに由ることだ。誰の評価にもとらわれない、ムキダシの素直さのことだ。

 この二日間で見聞きし、触れたすべてのことがらは、わたしのものの見方を変えた。それは“気づき”とか“目覚め”などというものではない。思い出したのだ。わたしは己の中の固定概念や価値観を押し流す、抗い難い精神感動に大いにふるえた。

 前述したthe hatchはいうに及ばず、折坂悠太も角銅真実もDeerhoofもDonna LeakeもAcid Pauliもマジマジのマジですばらしかったので、どれがベストアクトだったとか何がハイライトだったとかそんな言い方はしたくないのだけれど、Pino Palladino and Blake Mills featuring Sam Gendel & Abe Roundsには心底やられた。彼らの音楽は美しくて、ダンサブルで、そして何よりシュールだった。たとえていうなら星の瞬きすら聞こえそうなかそけき砂漠の夜に、青銅色の月光がアルミ缶のうえにあるミカンを照らしているような、凛とした可笑しみ。皮膚がうずくようなその不思議なサウンドは、わたしを旅へと導いた。Tripではなく、Journeyにである。あらゆる境目が取り除かれたその場所で、わたしは『生まれてきてよかった』と思った。そして『生きていたい』と思った。めいっぱい、思い切り、全身で呼吸したいと思った。最後に演奏された曲のギター・ソロで、わたしは涙がとまらなくなった。あんなに優しくて力強いギターの音を、わたしはこれまで聴いたことがなかった。

 彼らの演奏が終わったあと、わたしは目に涙を溜めたまま、息を殺し、口を真一文字にむすんで、そっと、そーっと歩いた。そうしなければ、いま、胸をいっぱいに満たしているこの感動がこわれてしまうような気がしたからだった。わたしはドキドキする心臓をおさえながら、ゆっくり歩き、会場裏の喫煙所へとむかった。そこには申し合わせたように、the hatchの面々と仲間たちがいて、口々に『ヤバかったね』などといっていた。わたしは少しだけほっとして『すごかった』とだけいった。それ以上、いま観たものについて安易に感想を述べてしまったら、胸中でうずまく、言葉を失わせるような尊敬と畏れが入り混じった感情に、ありきたりな輪郭をもたせてしまうような気がしたからだった。

 ただ、the hatchのみどりにだけ、『じぶんが死ぬまでに、こういうものすごい表現ができるようになれるかなぁ、って考えてた』といった。みどりは『この体験について何か書いたほうがいいよ。ここから得たものを表現にすることが、おれたちに出来る恩返しじゃない?』といった。わたしはそうだね、と答えた。そしていま、わたしは三週間ちかくかかって、ようやくこの体験を言葉にしている。あのとき湧きあがった感情の万分の一さえスケッチできていないことはよくわかっている。けれども、それでも、わたしは書くことにした。

 オルダス・ハクスリーは『経験とは君の身に起きる出来事のことではない。起きたことに対して君が何をするかだ』といったし、ミュリエル・ルーカイザーは『体験を吸い込み、詩を吐き出そう』といった。作家であるわたしにできることは、書く以外にはない。真心をこめて書く以外には。

 FRUEの思い出は数限りないが、けっきょくのところ『感動した』のひとことに尽きる。感動というのは、生きていると実感することだ。わたしたちは感動するために生きている。ためらいもなく感動してゆこうぜ。人目はばからずに涙を流して踊ろうぜ。そして反射させてゆこうぜ、胸のドキドキを、各々のやり方で。




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