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ハートに火をつけて(そして火種を絶やすことなく)

ムチャクチャ忙しかったり、あるいは死ぬほどヒマだったりして無感動な日々が続くと、ヒトの気持ちはどんどんクサってゆく。

たとえ人生を揺るがすよーな強烈な経験をして、ハートに火がついたとしても、世の中は過酷だし、人生はそこそこ苦しいので、その火を絶やさずにいるのはかなりむずかしい。

だから、何かを受け取ったり、何かを伝えたりして、つねに火種に薪をくべてハートを燃やし続ける必要がある。


昨晩、友達たちのライヴを観た。うれしかった。友達のかっこいい姿を見ると、胸に火が入る。

友達がこんだけかっこいい事してんだからオレもかっこいい事しなくちゃあと思うし、その友達にとってもかっこいい自慢のマイメンでありたいと思う。


うれしい事はほかにもあった。何人かのヒトに、『アンタの文章を読んでいる』と声をかけられたのだ。オレはバカで弱虫で怠け者の実にしょーもない人間だが、そんなオレが書いた文章を面白いというのだ。身に余る褒め言葉だ。『自分にも何かができるのかもしれない』と思った。




『6才のボクが、大人になるまで。』という映画があって、6才の男の子が18歳になって親元を離れるまでの12年間の軌跡を、ずーっと同じキャストで、実際に12年間かけて撮影しているスゴイ作品なんだけど、オレはこの映画がとても好きだ。

とにかく名シーンがいっぱいあるんだけど、とくに好きなシーンがある。


男の子の母親が、家に来た配管工事の移民の青年がとても利発であることに気づき、『あなたは頭がいいから大学に通ったらいい』と助言を与えるのだが、10年後、母親が子供たちとレストランでランチを取っていると、その青年が現れる。青年は母親に向かってこう言う。


『昔、お宅の配管工事をしたことがあります。ずっとあなたにお礼を言いたかった。あなたのおかげであれから学校に通って学士号を取得して、いまではここの店長もやってるんです』と。

そして青年は『ランチのお代は気にしないでください』といって去るのだが、そのときの母親の表情がすごくイイのだ。なんともむずがゆそうな、ちょっと困ったような、いろんな感情がこんがらがった顔。

滲み出るようなその小さな笑みは『自分にも何かができるのかもしれない』という誇りのあらわれだと思う。自分が誰かに影響を与えたという感動もまた、ハートに火をともす。


『自分にも何かができるのかもしれない』という気持ちがヒトを蘇生させるのだと思う。でもその気持ちはそれほど長続きするものじゃない。だからどんどん、めげず、なまけず、クサらずに伝えていかなきゃいけない。伝わった! っていう手応えを感じる瞬間なんて、マジで滅多にあるモンじゃないけれど、でもその瞬間が生きる目的な気がする。

過去は関係ない。10年前と1秒後どっちが大切なんだよっていうハナシだ。フレッシュに行こうや。オレたちは未来だけ感じていこうや。

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