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Soulful Fiction Novel Number One 『LOVE(Original Mix)』 B-5




ミラーボールの発明者に、心からの心を込めて本作を捧ぐ。



B-5. Taste of Love

 ピピピ、ピピピ。ピピピ、ピピピ。ピピピ、ピピピ。

 目覚まし時計の音で、カツオは目を覚ました。そしてベッドの上でむっくり身体を起こしたとき、自分が泣いていることに気づいた。カツオは指先で涙をぬぐって大きく伸びをすると、ベッドから這い出てキッチンで湯を沸かし、パジャマ姿のままで洗面所のまえに立った。目は真っ赤に腫れており、頰にはナメクジが這ったような涙の跡がありありと残っていた。やれやれ、一体どんな夢を見たらここまで大泣きするのだろうか。どんな内容だったかは覚えていないが、何か、すごく懐かしい夢を見たような気がする。カツオは冷たい水で顔を洗うと、沸いた湯でコーヒーを淹れ、部屋の遮光カーテンを開け放った。朝の光に照らされた街並みはぼんやり乳白色に滲み、はるか真下の路上では通勤ラッシュが始まっていた。カツオは湯気の立っているコーヒーを啜りながら、ビル群の無数の窓がキラキラ輝くのを眺めた。きょうもまた、一日がはじまる。

 カツオは熱いシャワーを浴びてスーツに着替えると、M区の高層マンションを出て、歩いて五分のところにあるオフィスへと向かった。四階にあるそのオフィスで、カツオはせわしなく行き来する社員たちと挨拶を交わしながら、奥の会議室へと入った。革張りのソファに寝転がってタバコを吸っていたタケフミが小さく手をあげた。

「おっは」
「ここは禁煙って言っただろ」
「十五分も遅刻しといて何言ってんねん」

 タケフミは身体を起こすと、ヨレヨレのスーツのポケットから携帯灰皿を取り出し、吸いさしのタバコをその中にねじ込んだ。カツオは向かいのソファに腰を下ろすと足を組んだ。

「ネクタイもしてないし。決めただろ、おれたち二人はちゃんとネクタイ締めて出社するって」
「いや、オレ、ネクタイとかほんまムリやねん。何やねん、なんであんなヒモで首絞めなあかんねん、あんなもん意味ないやろ」
「意味とかじゃない、規則だ。おれたちがルールを守らなきゃ、示しがつかないだろ」
「はいはい。社長さんがおっしゃるならしゃあないな」

 カツオとタケフミは、ここM区にケータリングの会社を立ち上げていた。社長はカツオ、副社長はタケフミ。創業から早五年、会社はそれなりに業績を上げており、今や十数人の社員を抱えるまでに成長していた。


「なぁ、アレから今日でちょうど九年なんやって」
 肩まで伸びたボサボサの頭を掻きながら、タケフミが思い出したようにいった。
「アレ?」
「“らぶ”の最後のイヴェント。なんで忘れとんねん、ケーサツに逮捕までされたくせに」
「ああ……」カツオは溜息まじりに小さく頷いた。「もうそんなになるのか……」
「コーイン矢の如しやで。しかしなぁ、まさかなぁ、“らぶ”が無くなるとは思わんかったよなぁ」
「まぁ、それだけのこと、やらかしたしな」
罰金やら権利料やら払わされた挙句、マスコミにも叩かれまくってなぁ」
「おまけに近くにキレイでオシャレなコインランドリーも出来たしね。ああなったら、もう、どうしようもないさ」
「こないだ久々に“らぶ”があったとこ通ったんやけど、駐車場になってたわ」
「まぁ、ホントなら親父が死んだとき、土地ごと売っぱらう予定だったからね。どのみち遅かれ早かれ、そうなる運命だったんだよ」
「オレ、あの夏は一生忘れられへんわ。あんなおもろかったことないもん。あんときの思い出話するだけで未だに酒おごってもらえるしな」
「……若かった、よな」
「若かった若かった。若くて、夏で、バカやった。無敵やったで」
「無責任だっただけだよ。もうあんなこと、絶対、できないね」
「つくづく人生ってわからんもんやなあ。無職で借金まみれの前科持ちが、今はこうやってM区にオフィス構えとるんやから」
「人生は何だって起きるんだよ。何でも起きるって信じてる限りはさ」
「あ、それ、こないだ何かの雑誌のインタビューで言っとったやろ。見たで」

 タケフミは肩を揺らしておかしそうに笑ったのち、無精髭に覆われた顎を撫でながらいった。

「……そういや、あの子、どうしてるんやろな?」
「……あの子?」
「うぅわ、薄情にも程あるで。アイちゃんのことに決まってるやろ、ほら、あの車椅子の」
「……ああ」
「あんとき、お前ら付き合っとったやろ。めちゃめちゃラヴラヴやったやん。絶対結婚するって思ってたんやけどな、オレ」
「そんなこと思ってたのかよ」
「ああ、めちゃくちゃ思ってた。披露宴の挨拶まで考えてたもん。別れたって聞いたとき、結構ショックやったわ」
「……まぁ、結局さ、若かったんだよ、お互い。若い恋愛はさ、うまくいかないんだ」
「連絡とか取ってないん?」
「五年以上取ってないよ。もう、会うこともないだろうね」
「そっかあ。何か、切ないなぁ」
「人生にはさ、そういうミッシングパーソンがいるぐらいが自然だし、豊かなんだよ」
「うわ、悟ったようなことほざきやがって。何がミッシングパーソンじゃ、死ぬまでランデブーだの永遠にフィーバーだの抜かしてたくせに」
「小説みたいにうまくはいかないんだよ。おれたちは、小説の登場人物じゃないんだ」
 カツオが苦笑しながら答えると、タケフミはそっかあ、と言ってソファに背中をもたれた。
「いま何しとるんかなぁ、アイちゃん。明るくて、ハデで、面白い子やったなぁ」
「……うん、元気だと、いいな。元気でいてくれたらさ、それでいいや」

 

 それからカツオはオフィスで諸々の業務を行ったのち、S区のレストランへ行き、会食とそれに伴う打ち合わせをした。たくさんの愛想笑いと取るに足らない世間話を繰り返し、取引先の重役と握手をしてからレストランを出ると、もうすでに時刻は十一時をまわっており、外は小雨が降っていた。カツオはタクシーを拾うと、運転手にマンションの住所を告げ、疲れきった身体をシートに預けた。寡黙な運転手はずっと眉間に皺を寄せたまま、不機嫌そうに運転しており、車内はFMの音楽番組が流れていた。そうしてカツオが霧雨に滲む夜景をぼんやり眺めていたときだった。ふいに、カーラジオから聞き覚えのある曲が流れてきた。それが何なのか気づいた瞬間、カツオは心臓が止まりそうになった。その曲は、ブラック・ハーモニーの『レッツ・ビー・ラヴァーズ』だった。

 頭の中で何かが弾けるのをカツオは感じた。

 そうしてカツオの精神は時空を遥か超え、気がつくとカツオは二十六歳になっており、“らぶ”のDJブースの中に立っていた。呆然と立ち尽くすカツオの目の前で、アイが微笑みを浮かべていた。ミラーボールから降り注ぐ光を浴びて燃えるように輝くオレンジ色の髪や、薄い桃色の唇からのぞく八重歯や、銀色の車椅子を、カツオは食い入るように見つめた。

 それは、思い出の一曲によって生み出された幻想などではなかった。

 両者の瞬間は、同時に存在していた。

 一瞬にして、カツオの人生はひとつに重なった。

 カツオは後部座席で身体を折るとうずくまった。大粒の涙が次から次へとあふれてきて止まらなかった。

 そうだ、おれは、あの子を、けっきょく、一度も、海へ連れていかなかったんだ。

 5台買うって約束した砂浜対応の車椅子も、一台も買わずじまいだったんだ。

 カツオは嗚咽しながら、はらはらと涙を流し続けた。


 それは、むかしの恋を思い出してセンチメンタルになったとか、そういうことではなかった。愛に触れて崩落したのだ。カツオは祈りたかった。何かを、強烈に、祈りたかった。でも、何をどう祈ればいいのかさっぱりわからなかった。カツオは目をぎゅっと閉じ、歯を食いしばりながら、軋むようなハートの痛みをただじっと堪えていた。ミラー越しにその様子に気づいた運転手が、怪訝な顔でカツオに声をかけた。

「ちょっと、お客さん、どうかしましたか? 具合でも悪いの?」
 カツオは息も絶え絶えに言葉を紡いだ。
「……海に…………」
「え?」
「……海まで、連れてってくれ……」
「海、って……どこの海ですか?」
「どこでも、いい……とにかく、海へ……海へ、連れてってくれ……」

 運転手は首をひねっていたが、言われるがままに行き先を変更した。そしてタクシーは海へ向かって走り始めた。カツオは両手で髪をぐしゃぐしゃにしながら、ずっとうつむいていた。背骨の一番下、尾てい骨のあたりがかあっと熱を帯びるのを感じていた。やがてその熱はだんだん上昇し、首筋を突き抜けて、脳天を直撃した。気がつくと、カツオは大声で叫んでいた。

「あああああああああああーーーーーーーーーーっっっ!!!!!!!!!!!」

 

 運転手は肩をびくんと震わせると、慌ててカツオを振り返った。

「どっ、どうしたんですかっ!?」

 カツオは両腿を激しく殴りつけ、涙をボタボタ流しながら叫び散らした。

「どうしたもこうしたもねえよ!! どうしたらいいかわかんねえんだよ!! どうすんだよ!! どうすんだよ!!? なぁ、おれは、どうしたらいいんだよ!!?」


「わわわ、おっ、落ち着いてくださいっ!」
 
 タクシー運転手は必死にカツオをなだめたが、カツオは両腕を振り回しながら激しく暴れ始めた。

「落ち着いてなんかいられるかよ! 
おれはフェイドアウト終わりはイヤなんだよ!! 
しゅるしゅる萎んでいくみたいに終わるのなんかまっぴらなんだよ!!!
あのとき思い描いてた未来はこんな安っぽいモンじゃなかった!!
あのとき思い描いてた未来はっ、こんなチンケなモンじゃなかった!!
幸せってのはっ、何かを所有することじゃないっ!!
いい家に住むとか、うまいモンを喰うとか、そういうことじゃないっ!!!
情熱を注げる何かを見つけてっ、納得いくまでそれをやり続けることだっ!!!
おれはっ、幸せになりたいっ!!
絶対絶対絶対幸せになりたいっ!!
意地でもハッピーエンドを迎えたいっ!!!
こんな人生、ぜってぇ認めねえぞ!!
こんな世界、ぜってぇ認めねぇ!!
“世の中、思い通りには行かないもんだ”なんてワケ知り顔のジジイみたいなこたぁ言いたくねえんだよ!!
ホントに怖いのは、死ぬことじゃねえ!!
思いっきり生きないことなんだよ!!!
おれは、愛を掴みたいっ!!!
ホンモノのっ、混ぜもん無しのっ、百パーセント真実真正の愛を掴みたいっ!!!
けっきょく、全部、愛なんだよ!!!!!!!!!!!
けっきょく、全部、愛なんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 カツオはほとんど絶叫しながら暴れた。運転手は狼狽しながらもなんとかなだめようと試みたが、もはやカツオに人間の言葉は届かなかった。そして運転手はハンドルを切り損ねた。その結果、タクシーは道路を飛び出し、電柱に衝突した。


 ズギャ、ズギャズギャズギャ、ドタパトン、グガン!!!!!


 

 けたたましいクラッシュ音とともにボンネットがぐしゃぐしゃに潰れ、車内は激しく揺れた。エアバッグが作動し、運転手はそれに顔面を埋めたまま気絶した。そしてシートベルトをしていなかったカツオは投げ出され、そのままフロントガラスを突き破り、アスファルトに全身をしたたか打ち付けると地面をゴロゴロ転がった。カツオは呻き声を上げながらもどうにか立ち上がったが、頭からは血が噴き出し、アバラは二本折れ、スーツはズタズタ、まさに満身創痍といういでたちだった。

 白煙が立ち上る車体を眺めながらカツオが呆然と立ち尽くしていると、一台の後続車が停まった。そうしてカツオがヘッドライトのまぶしい光に目を細めていると、運転席のドアが開き、そこから一台の車椅子が出てきた。そして、その運転手は時間をかけて微調整しながらゆっくりと車椅子に乗り込むと、カツオのほうへとやってきた。

 逆光に照らされた車椅子の主のその顔を見た瞬間、カツオは息が止まるかと思った。カツオは何かを言おうとしたが、何も言えなかった。餌をねだる金魚のごとく、ただ口をパクパクさせるのみだった。ひしゃげたタクシーのカーラジオはかろうじて生きており、そこからジュニー・モリソンの『テイスト・オヴ・ラヴ』が流れていた。口の中に広がる生暖かい血液を舐めながら、これが愛の味か、とカツオは思った。

 そして、カツオは、その場で踊った。
 流れてくる音楽に合わせて、満身創痍の身体をよじって踊った。

 だって、胸にこみ上げる感情を言葉にすることなんて、もう、とても出来そうになかったから。



THE  LOVE STORY HAS NEVER ENDED!!





♪Sound Track : Taste of Love / Junie Morrison



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