弾けないギターを弾くんだぜ(友達のケイちゃんの話)
“じぶんが誰かに影響を与えるなんて思ってもみなかった”とは、山本直樹先生の名作マンガ『YOUNG&FINE』の名ゼリフだが、オレはハタチのとき、はじめてこーゆー気持ちにかられた。
ハタチのとき、ケイちゃんという友達がいた。
同い年で、漫画や映画や音楽が好きな、イワユル文化系の子だった。
オレはケイちゃんとウマが合い、よく夜な夜などちらともなく電話をかけたりなんかして、古いロックの話やら、B級ホラー映画談義に花を咲かせたものであった。
ケイちゃんは演劇をやっていて、オレは尊敬の念を抱いていた。情熱を注げる何かがあるというのはすばらしいことである。演劇に燃えるケイちゃんを尻目に、ただ知識ばかりを溜め込んでは腐らせる一介のボンクラ男子だったオレは(今もそれほど変わらないが)、自分も何かやってみてえなぁ〜とか漠然と思ったりしていた。
そんなある日、オレはひょんなことからバンドを始めた。
友達に誘われて、人生で初めてライヴというものを観に行ったところ、
『今日、僕以外のメンバーが全員来なかったので解散します。今日はライヴの代わりに、僕が好きな曲を流します。』といって面影ラッキーホールのCDを流してライヴを終えたやつがいて、すげーやつがいるもんだなーと思って感心していたところ、そいつに初対面でいきなり、『君、おれと一緒にバンドやんない?』と言われたので、それでバンドを始めることにしたのである。
このバンドについては語りつくせないほどのエピソードがあり、オレがいまツルんでいる友人や、お世話になっている先輩方などはほぼ全員、このバンドをやらなかったら確実に出会っていなかったであろう人しかおらず、つまりは人生を変えた一夜といっても過言ではないわけだが、とりあえずここではそういう話は置いておく。
まぁとにかく、そんなふうにしてオレはバンドマンになったワケである。
『バンドっちゅうもんはそりゃあ面白いんだろうな』と前々から思ってはいたが、いざ実際にやってみると、面白いどころではなかった。ドキドキしすぎて鼻血が出るぐらいだった。世の中にはこんな面白ぇもんがあるのかと思った。
リハーサル、レコーディング、ライヴ、ツアー、物販デザイン、曲作り、すべてが新鮮かつ驚愕の連続であり、オレはまたたくまにバンド活動にのめり込んだ。
二十歳で夏でバカだった。つまりは無敵だった。
そんな無敵の日々を過ごしていたあるとき、ケイちゃんから突然、一枚の写真が届いた。
それは、レジェンドの黒のSGを構えてポーズをとるケイちゃんの自撮りだった。
ケイちゃんは『お前がバンドやってんの見て自分もバンドやりたくなったから今日ギター買ってきた』といった。
『ギターとか全然わかんねーから完全に見た目で選んだ。ていうかギターの弦って楽器屋で張り替えてもらうもんだと思ってたわ』とケイちゃんは笑った。オレも笑った。
笑いながらオレは、胸がかゆくなるような嬉しさを覚えていた。
自分が誰かに影響を与えるなんて思ってもみなかったからである。
オレのやったことで、誰かが、何かを始めた。
その事実が、ふるえるぐらい嬉しかった。
ほんとに、ホントウに、嬉しかったのである。
年が明けたころ、オレはケイちゃんを自分のバンドのライヴにさそった。
それは四月におこなわれる、結構な人が集まるであろう企画で、オレはかなり気合が入っていた。
ケイちゃんは笑いながら『ぜってー行く。どうしても行く。』といった。
オレも笑いながら『ぜってー来て。どうしても来て。ゲスト入れるから。』といった。
ケイちゃんが死んだのはその翌月のことだった。
四月の企画の日、オレは配布されたゲスト・リストの一番上に、ケイちゃんの名前を書いた。
別にセンチメンタルな気取りとかそういうことではない。ゲストに入れると約束したからだ。
ゲスト・リストに名前が書かれていなかったときの小っ恥ずかしさときたら、まったくたまんねえからね。
あれからもう十年以上経つ。
たまに、ケイちゃんのあのレジェンドの黒のSGのことを思い出したりする。
あのギターはいまどこにあるんだろうかとか考えたりする。
願わくば、願わくば、どっかの中古市場に流れて、とにかくバンドがやりたくてたまらねえガキが弾いていてくれたらいいな。
あの二十歳で夏でバカだった日々を振り返ると、若かったよなあ、と思う。
だけど、三十一歳のいまのほうが、ずっとずっと若い。
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