見出し画像

山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第七十一回 これから「ジミ・ヘンドリックス」の話をしよう特集


ジミ・ヘンドリックス。

この名前を聞いて、『は? 誰? ロッテの新外国人選手?』とか言う人はほぼいないでしょう。誰もが一度は見たり聞いたりしたことがあると思います。

史上最高のバスケットボール・プレイヤーがマイケル・ジョーダンといわれるように、史上最高のボクサーがモハメド・アリといわれるように、史上最高のサックス・プレイヤーがチャーリー・パーカーといわれるように、誰もが認める『不動のチャンピオン』という王座がありますが、ジミ・ヘンドリックスは『史上最高のギタリスト』という王座に、亡くなってから五十年が経過した現在もなお座り続けています。

それは百年後も、いやさ千年後も変わることはないでしょう。この世に数多ある『史上最高のギタリスト100』みたいなランキングで、彼が1位でないものは存在しないと思います。そのぐらい圧倒的な王者です。

27歳の若さで夭逝、デヴューしてから亡くなるまでの活動期間は4年足らずで、存命時に残したスタジオ・アルバムはたったの3枚。にも関わらず、ロック・ミュージックの中ではビートルズに次いで研究家や研究書が多く存在し、海賊盤を含む膨大な音源が現在もリリースされ続けているという、音楽史の偉大なる巨人です。

とはいえ百聞は一見に如かず、まずはこちらをご覧下さい。1967年、アメリカで行われたモンタレー・ポップ・フェスティヴァルの映像です。

ジミヘンはアメリカ人でしたが、渡英して成功したのちにアメリカに逆輸入されたミュージシャンのハシリでして、実質これがアメリカでの初ライヴだったんですよ。で、そのライヴの一曲目がこれです。

当時若干24歳のジミ・ヘンドリックスがアメリカデヴュー戦で放った、一発目の渾身のストレートを、家庭環境が許す限りの大音量でご鑑賞あれ。




はい、どうっすか? ガッツーンきましたか?

まるでダイナマイトが次々に爆発していくような、圧倒的な演奏ですね。ほとんどマンガ的といってもいい。

実際これ、もんのすごい超爆音で演奏されてます。ジミヘンって耳栓してライヴやってたぐらいで、耳栓落として慌てて拾ってる映像とか残ってるんですよ(※)。

(2020/8/30追記。この記述はどうやら僕の勘違いであったようです。謹んでお詫び申し上げます。)

ロックンロールはブルーズを基盤として作られた音楽ですけれども、そのブルーズが持つ暴力性をほとんど宇宙的なレヴェルで拡大解釈したのがジミヘンです。

ブルーズのインフレーションの極致としてノイズ・ミュージックの領域に到達したワケです。

もはやうまいとかの次元じゃないですね。ただただすごい。ひたすらにすごい。すごいということしか解らない。あまりにもすごすぎて未だに誰もちゃんと理解しきれていないから、研究家とか研究書が後を立たないんですよ。『ジミヘンはロックとかじゃない。ジミヘンはジミヘンだ』っていう人がいますけど、本当にその通りだと思います。

ジミヘンを初めて聴いたとき、まず一番最初に耳が行くのが“音”だと思います。実際にジミヘンの音は革命的で、ジミヘン以前にあんな音を出してるギタリストは存在しませんでした。

ジョン・レノンが『ジミ・ヘンドリックスがフィードバック(歪ませたギターをアンプに近づけたときに鳴るノイズのこと)奏法を発明したってみんな言ってるけど、僕は“アイ・フィール・ファイン”ですでにやってたよ』とか言ってましたけど、アレとジミヘンは全く別次元のもんだと思いますね。



いい曲。


で、なぜジミヘンがそのように常軌を逸した音を出せたかと言うと、手がバカデカかったから常人には抑えられないコードが弾けたとか、独特の粘っこいグルーヴ感を持ってたとか、左利きだったから右利き用のギターを逆さまに持っていたとか色々ありますけど、まあ単純に、常軌を逸した機材の使い方をしてたからですよね。

ギター・エフェクターの使い方にしても、トレモロ・アームの使い方にしても、ことごとく製作者の意図を遥かに超えた使い方をしていたそうで、もともと軽くコードを揺らす程度の使い方を想定して設計されたトレモロ・アームを、フィードバックを絡めながらへし折る勢いでガッシガッシ使いまくるジミヘンを観たレオ・フェンダー(フェンダーの創設者)は、『アームはあんな風に使うもんじゃない!!』ってブチギレています。

でもジミヘンの愛用機材だったストラトキャスターって60年代には不人気で生産終了になりかけてたんだけど、ジミヘンの登場によって一挙人気が爆発し、今もレスポールと並ぶ人気タイプとしてセールスし続けているので、ジミヘンはフェンダー社に多大な貢献をしたと思いますね。




まぁ、そのギター燃やしてるけどね。

これさっきご紹介したモンタレー・ポップ・フェスティヴァルのライヴのラスト・シークエンスなんですけれども、この日はジミヘンが大トリで、トリ前がザ・フーっつうバンドだったんですよ。

んでジミヘンとザ・フーは互いに『絶対こいつらのあとに出たくない。負けるに決まってる』って思ってたから、

『いやあ、俺らみたいな新人がザ・フーさん差し置いて大トリやるワケにはいかないですよ』

『ふざけんな、誰がテメーのあとに出たいって思うんだよ』

という卑屈極まりない口論が繰り広げたのち、コイントスで順番を決めよう。というコトになり、その結果、ジミヘンが大トリになったんですよ。

トリ前を務めたザ・フーはそりゃもう気合い入りまくりでギターぶっ壊すしドラムぶっ壊すし会場大盛り上がり、パイセンとしての意地を見せつけました。

そして大トリのジミヘンは、

『くそっ! あいつらに勝つためには……もうギターを燃やすしかない!』

って思ってギターに放火したらしいです。

まさに炎上芸

このパフォーマンスに会場はクソブチ上がり、ジミヘンのアメリカデヴューは大成功と相成ったワケですが、このあとしばらくギター燃やすの期待されて結構しんどかったらしいです。

まあパイセンのザ・フーも楽器破壊パフォーマンスが恒例行事化してしまったが故に、ライヴが毎回赤字になるという悲劇の時代があったんですけどもね。

派手で過激なパフォーマンスって絶対『もっかいやって!』って言われるんですね。それで言われた通りやってたら『もっとすごいのやって!』って言われちゃう。最終的にはステージで死ぬしかなくなる。それ実際にやろうとして、そのライヴ前に死んだGGアリンっていう物凄い人がいるんですが、それは次の機会に紹介しますね。



スタジオ・ライヴでギターを破壊し、ドラムを爆破するザ・フーの勇姿。


話が少々スリップしましたが、ジミヘンの話に戻ります。

じぶんに酔いしれまくってひとりで盛り上がってる人のことを『オナニー』とか言うじゃないですか。ジミヘンはマジでオナニー以外の何物でもないと思うんですよ。

それも壮絶に荒れ狂う嵐のような凶暴なオナニー。

観るもの全てを圧倒する凄まじいオナニー。

ジミヘンがブチ上がりすぎて他のバンドメンバーがついていけなくなってるときとかあるんですよ。

実際、ライヴ中に射精したこともあるらしいです。ギター弾くのが気持ちよすぎて。まあねえ、もう顔が完全にイキまくっちゃってるもんねえ。

ジミヘンってもともと陸軍にいたんですけど、ドキュメンタリー映画で、当時の上官に『彼はギターと自慰行為以外に何の興味も示さない劣等生だった』って言われてますからね。『何もそこまで言わなくてもいいだろ』って感じですけどね。

でもジミヘンがオナニー狂いだったのは疑いようのないところで、ジミヘンが軍隊を除籍になったのも『サボってトイレでオナニーしてるところを見つかったから』って説があるぐらいですから。すっごーい! ジミは性欲が旺盛なフレンズなんだね! 

あと陸軍時代、ギターに名前つけて毎晩ギターと一緒に寝てたりしてたから、同期のヤツに滅茶苦茶イジメられまくってたらしいです。平沢唯ちゃんの先駆ですよね。唯ちゃん別にイジメられてないですけどね。

まあ、ジミヘンが元・イジメられっ子というのは凄いよく分かる気がします。ブチギレたイジメられっ子が涙目で両腕振り回しながら突進するみたいな感じあるもんね、ジミヘンの演奏。



これとかそんな感じしないですか? 

絶対暗いもんこいつ! 

会社の飲み会で先輩に『飲んでんの〜〜??』って肩組まれたとき、『ぁ……はい、いただいてます……』って苦笑いしながら答えそうだもん!

ていうか飲み会来なそうだもん!

『飼ってるジャンガリアンハムスターの世話があるので欠席します』とか言って休みそうだもん!

そのぐらいの説得力がこいつの音にはあるよ。


まあまあまあ、かのように強烈な個性を持つジミヘンに多くの人々は惹かれました。そして強烈な個性というのはフォロワーを生むもので、ジミヘンがデヴューしたのち、彼のようなサウンドを奏でるフォロワーが相次いで現れました。

ロビン・トロワー、エディ・ヘイゼル、ポール・ヴィンセント、フランク・マリノ、ウォルター・ロッシ、ランス・ロペス……etc。

彼らはジミヘンを精神的な師を崇め、ジミヘンのプレイ・スタイルを参考に、自分の音楽を作り上げていきました。

しかし、ジミヘンにはなんと直属の弟子がいたのです。それも二人。

ひとりめは、アイズレー・ブラザーズのギタリスト、アーニー・アイズレーです。





服装といいプレイスタイルといいジミヘンキッズ丸出しの彼は、10代の頃にジミヘンからギターの手ほどきを受けていました。

なぜそんな繋がりが? っていうとですね、ジミヘンが下積み時代のとき、アイズレー・ブラザーズのバック・バンドをやってたからです。音源が残っていますので聴いてみましょう。





強烈でパワフルなR&Bですが、良く聴くとギタープレイにジミヘン感が滲み出ていますね。アーニー・アイズレーは70近くなった今も現役で、ジミヘンキッズ丸出しのままプレイし続けています。ジミヘンのカヴァーとかもやってます。Jの意思を継ぐものです。泣けまくる(笑)。


そしてもうひとりは、ヴェルヴァート・ターナー。




アーニー・アイズレーと比べると遥かに無名なので、知らないという方も大勢いらっしゃると思いますが、このひとも紛うことなきジミヘン直属の弟子です。

このひと、ジミヘンの親友だったんですよ。

ヴォーカルといいギタープレイといい、ジミヘンの未発表音源って言われてもわかんないぐらい本当にクリソツです。

このひと、ジミヘンの教則ヴィデオとか出してて、『ここはこうやって弾くんだよ』とかやってんですよね。かつて彼もジミヘンにこうやって教えられたのかな。とか思いながら見るともう、不覚にも落涙してしまいますね。

ヴェルヴァート・ターナーはこれ一枚しかアルバム出してないんですけど、このアルバムすごくいいです。ジミヘン・レプリカ最右翼。

弟子っていいですねー。

弟子欲しい! 

袴姿のオカッパ美少女に『お師匠様』とか言われたい! 

銀髪クール美少女に『マスター』とか言われたい! 

教えられることと言ったら無職の生き様だけですけどね。

無職を長く続けるためには、まず目の前のこと以外は絶対に考えてはいけません。考えていい未来はせいぜい今日の夕飯のことまでです。あと間違っても『闇金ウシジマくん』を読まないことですね。

うん、俺は弟子を取るタイプの人間じゃない!

むしろ師匠につくタイプの人間だ!

師匠欲しい! 

ダンスの師匠が欲しい! 

タップダンスとか会得したい! 

あとマリオカートの師匠とか欲しい! おしえてほしいぞお、師匠!


画像1



まあまあ、そんな愛されまくりのジミヘンですけども、彼らがジミヘンを心から敬愛するように、ジミヘンもまた、心から敬愛するミュージシャンがひとりいました。

ボブ・ディランです。

ジミヘンは彼女ができるたびに『これマジでいいから絶対聴いて! 超深いから! マジで人生変わる!』とか言ってボブ・ディランのレコードを無理やり貸していたそうです。

すっげー迷惑(笑)。

完全にダメな方のオタク(笑)。

ジミヘンってこういう童貞力高いエピソード多いんですよ。超人見知りだったらしいし。そのわりに自分を超評価してくれてる怖いパイセン(マイルス・デイヴィス)の奥さん寝取ったりしててかなり謎いんですけどね。まあ謎は魅力ですからな。

で、ボブ・ディランなんだけど、ジミヘンはマジでボブ・ディランの超大ファンで、デヴュー当時のあの髪型はアフロ・ヘアじゃなくてボブ・ディランのカーリー・ヘアを意識したものだったらしいし、歌い方も完全にボブ・ディラン意識してるし(これあんま指摘されないポイントです)、というかジミヘンはずっと自分の歌に自信がなかったんだけど、ボブ・ディランを知ってから歌おうって気になったらしいし、もうとにかくボブ・ディランキッズです。

『彼(ボブ・ディラン)の詩を読んだことがあるかい? 彼の詩には人生の全てがあるよ……』と遠い目で語るインタビュー映像なんかも残ってるぐらいです。

で、ついには好きが高じて、ボブ・ディランの曲をカヴァーしてしまいます。



かっこいいですねー。晩年のライヴではバンダナ・スタイルが多かったジミヘンですが、このバンダナの下にはペーパー・アシッド(幻覚剤を染み込ませた紙片。60年代を代表するドラッグ)が3枚貼り付けてあって、汗で滲む額から皮下摂取され、ライヴ中にどんどんどんどんトリップしてったそうです。発想が完全にクソジャンキー(笑)。ちなみにカヴァーされた原曲はこっちです。



かっこいいですねー。ボボボーボ・ボーボボのビュティの名前の元ネタになった『アメリカン・ビューティー』って映画で、ケヴィン・スペイシーがマリファナ吸いながらこの曲聴いて筋トレするシーンがあるんですけど、あのシーンが大好きで何回も観ましたね。

原曲のリリースが1967年12月、ジミヘンのカヴァーがリリースされたのが1968年9月なんで、マジ秒で速攻カヴァーしたということが伺えます。ジミヘンはマジでボブ・ディラン好きだったんだろーなー。


まぁダラダラと書いてまいりましたがまとめますと、ジミヘンは早かったんですよ。とてつもなく早かった。

凄まじい速度と密度と幾何学性でもって呼吸し、思考し、行動していたんです。

おそらく彼の人生において、何もしなかった、何も起こらなかった退屈な一日というのは存在しなかったでしょう。そんな超圧縮型の人生を彼は生きていたんです。カラビ・ヤウ多様体のように、我々が知覚しえない次元に彼は存在していた。

ジミヘンがどんなに遅いブルーズを演奏していても、それはやっぱり、凄まじく早いんです。

『10008個の音を使うのに、あなたは何小節かけますか?』という質問に、チャーリー・パーカーはこう答えました。『一秒』。早すぎた男、チャーリー・パーカーもまた34歳の若さで夭逝しました。

不謹慎を承知で申し上げるならば、彼が27歳で死んだというのはなんら不思議ではありませんし、悲痛さも感じません。これだけのことをやりきったのだから、命を落とすのも仕方がない。とジミヘンよりふたつも多く年をとってしまった僕は思うワケです。


というワケでいかがでしたでしょうか、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第七十一回 これから「ジミ・ヘンドリックス」の話をしよう特集、そろそろお別れのお時間となりました。次回もよろしくお願いします。最後に、ジミヘンのキャリアで最もロマンティークでスウィートな楽曲を紹介します。



この楽曲の歌詞は以下のようなものです。僕の拙い和訳ですが、ぜひ読みながら聴いてみてください。


きのう 天国から天使が舞い降りて来て

オレが落ち着くまで

ずっとそばにいてくれた

そして彼女は月と深く青い海の

甘い恋について話してくれたんだ

彼女はオレの頭上で翼を広げて言った

あした また戻るねって

そしてオレは言ったんだ

“飛んでいけオレの最高の天使

この空をどこまでも飛んで行けよ

あしたはオレがお前のそばに行くからさ” って

次の日 彼女は約束通り戻ってきた

銀色の翼が

明け方の光を浴びて

影を映し出した

そして彼女は言ったんだ

“きょうは あなたが立ち上がる日よ

私の手を掴んで 男らしく立ち上がるの”

そして彼女はオレを空高く連れ出してくれた

そしてオレは言ったんだ

“飛んでいけオレの最高の天使

この空をどこまでも飛んで行くんだ

オレはずっとお前のそばにいるからさ” って



それではまた。


愛してるぜベイベーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?